本日のお題は、何となくやったようなやりないような『筑波嶺に 雪かも降らる 否をかも 愛しき児ろが 布乾さるかも』とセットの常陸の国の歌です

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あっちくなったりさぶくなったり、実際、お天気の安定しない今日この頃、お庭の様子も目まぐるしく変わってまいりした。
本日はいい話にあらず、雑草の方の情報です。
一二に厄介なヤブカラシですわ。
油断してたら花の終わったハナズオウにびっしり…
ホント、これ、保護色ですね、全く見落としてましたよ。
確かヤブカラシは一本でしたよね?地下茎で繋がって一斉にでてくるのです。
でもこの時期ならまだ柔らかいんで、簡単に全部引っこ抜けました。

今日は日曜で恒例で万葉集の日、『杏花まんにょう』原点の東国農庶民の歌から拾いましょう。
タイトルに折り込んだとおり、巻十四3350は詠み人知らずの東歌です。

筑波嶺の 新桑繭の 衣はあれど 君が御衣し あやに着欲しも


直後に能書きが付いてますゾ。或る本の歌に曰はく、たらちねの。又曰はく、あまた着欲しも。
この両方を入れたとこの別説3350は、

たらちねの 新桑繭の 衣はあれど 君が御衣し あまた着欲しも


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より一段強まったかな?
そもそもが御衣しなぞと二重警護で君、あなたさまに対する一方ならぬ憧憬の念に、あやに → あまた と上級から最上級となった願望の副詞で駄目をおしてますもの。
或いは念には及ばぬかとは思いますが、新桑繭の衣は最高級品、それよりもと歌ってるわけです。
とそれから、ここでのたらちねは枕詞ではなく、母そのものの意です。

そして愈愈メイン、憧れのあなたさまのお召しになった着物を着てみたい、何やら今の感覚でいうとこの逆レイプっぼい!
流石は筑波嶺の歌世界一性に能動的な日本女性の面目躍如ってとこです。
フェチくさいですがさにあらず、万葉時代は魂の概念が強く残ってました。
女性視点のこの歌はおそらくは、誰か特性女性の作ではなく、桑摘みの作業歌であったことは容易に推察できます。

数日前の読売新聞のどっかで、田山花袋『蒲団』の文字を眼にしましたっけ。
憧れの異性の蒲団と付けてた夜具に顔を埋める…
こりゃ文句なしのフェチズムですよ。
万葉時代は今のようなフェチと魂の概念とは明確には分岐してなかった、

繰り返し申し上げます。

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