我ながら因果な性分なようで思いついたことはどうしてもやりあげないと気が済まぬタチでして。ですのでケチが付いても今日は、日曜恒例万葉集の噺をします

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冒頭からボヤキ調で恐縮ですが、どうもいけません。
あ、本BLOGのアクセス数の事です。
いえいえ、数自体には不満はないのでが、本当に読んでいただきたい記事、例えば新作には中々人が集まらず他の記事へのアクセスが膨らんでるここのとこなんです。
原因はひとつ。
現況では唯一の宣伝方法であるツイッターのアカウントの雲行きが怪しいこと。
全体的にはマスク新代表の方針で凍結済アカウントが次々と復活してるとの事ですが、その煽りもあってかシャドウバンが常態の齋藤杏花 (さいとうあんな) です。
けどまあ、それで不貞腐れて一旦決めた投稿をやめてしまうなんてのは、絶対的に性分に合いませんよ。
てなわけで、日曜恒例の万葉噺をぶちましょう。

もみぢ、もみちね。
昨日の噺にも出ましたし、2週間前は歌も出しました。
今日もその紅葉、黄葉をいきましょう。
巻一38は柿本人麻呂の長歌です。

やすみしし わご大君 神ながら 神さびせすと 吉野川 激つ河内に 高殿を 高知りまして 登り立ち 国見をせせば 畳はる 青垣山 山神の 奉る御調と 春べは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉かざせり 逝き副ふ 川の神も 大御食に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網さし渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも

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万葉集においては得てして。
春の花との対比で秋のもみぢ、黄葉を歌うことが多いものですが、この歌も多分に漏れません。
さて、長歌といえば反歌。
ん?また反歌のない長歌なんか?ですと?
違います、違います、直後の巻一39にこんな歌があります。

山川も 依りて仕ふる 神ながら たぎつ河内に 船出せすかも

ほらね、こっちの方が有名、このように『目指せ!! 平成の女蜀山人!』で取り上げ本BLOGでも早々に俎上にあげてますよ。
上の長歌ごらんになって、どっかでみたようだな、と感じた方もあったやに思います。
この反歌、見事に長歌の要約版になってますよね。
ですので詳述は件の記事を援用します。
これにしてもこの歌、教科書の長歌反歌の説明どおりですよ。赤人の富士の歌のように長歌反歌で一体をなすパターンとは性質を事にします。
それにしても、反転リンクで張った反歌の記事、本稿と同じくtwitterの愚痴話を織り込んでますわ。
偶然の一致です。

でもまあ、ふう…

長歌は除いて反歌だけで話した17年前のフォローを漸く済ますことが出来ました。
そうなんだな、何か気になってしょうがなかった。

私って、ホント、因果な性分、あはっ!

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