『もみたひにけり』の季節になってますので、本日の万葉談義は?

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さて天気予報によれば、今日は昨日までとは打って変わり降るんでしたよね。
弱った、20日に日曜日が重なりどこも特売ですので、出なければならないのにねえ。
さあ早めに済まして、ってことでまた元のペースの前日起稿の早朝投稿です。

んで、この雨でまた一段木の葉が色付くのでしょうか?
もう色付いてもよさそうなもの、いかに常春の地・房総といえどもです。
さて、先週も言いましたか。
そして遡る事遥かその前の『もみち』がその下敷きで御座いました。
うん、遣新羅使人の歌です。
本BLOGでは随分とこの遣新羅使人は噺してます。
もうそろそろタネ切れか?と思いつつ調べてみれば、何のこたあない、
全部で145首もあるではあーりませんか!
これならまだ当分ネタには困りません。

一口に遣新羅使人の歌といっても万葉集に載ってるのは、天平8年(西暦736年)の阿部継麻呂を大使とするそれに纏わるものです。
出発は6月、旧暦ですから夏の真っ盛り、復習は後回しとして先に歌を見ていきましょう。

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大船に 妹乗るものにあらませば 羽ぐくみ持ちて 行かましものを

巻十五3579ですから、145首の内の二番目になります。
ですので6月、暑い真っ盛りでしょう。将に暑っ苦しい歌です。
日本の男というものはフェミとは正反対の極との伝統ですから、女房を愛しいなんて人前では言わないというのが相場、それが万葉時代においてはこうです。
羽でくるんで厳重に保護し船荷にして海の向うの新羅まで持っていくものをなんて、聞いてて恥ずかしくなります。
だからという訳ではないでしょうけど作者は書かれてない、因みにより有名な返歌『君が行く』も遣新羅使人の妻との記述でした。

悪い予感ってものは昔から常に中るんですよね。
天平8年遣新羅使は困難に継ぐ困難で、瀬戸内海を抜けるのに何と一月以上掛かったのでした。
博多に着いたのが七夕過ぎでして。
そして更に時化に阻まれ、秋は帰る予定だったのがその時分は行きの壱岐でうろうろしてる始末で。
やっとの思いで向うについても、相手にさえされない、なんせその頃の新羅にはバックに唐が付いててふんぞり返ってる始末で。
失意で翌年戻ってくれば、泣きっ面に蜂で天然痘のクラスターが発生して…

時に巷間、新型コロナウィルスがまた流行し出し第8波に入ったとか。
そして朝鮮には虚仮にされ続けるわで、なんか似てますね。

これを以って現代に生きてる古典と申し上げるわけでは御座いません、あはっ!

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