エリザベスとは ← 噺が色々飛ぶ文だけ、せめてタイトルはシンプルに

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やっぱ台風14号が発生したんですわ。
なんでも、日本列島縦断のおそれとか。
でもね。大変身勝手な発言をするなら、このコースで列島縦断してくれるなら、おらほうは助かるんですよ。
何故なら陸地を進むなら、来るころにはすっかり勢力が衰えてるから。
南よりのコースで太平洋岸進まれたら最悪です。
或いは北よりに進み日本海に入られたら、南風でバカあっちくなって堪りません。
ともかく人為ではどうにもなりません。見守るのみです。

さて今日は9月16日。
じぃじの百箇日です。
いえいえ!生まれてからずっと今まで一緒に暮らした者にすれば、どこぞ外国の国家元首の死去よりもずっと大きな問題なんですよ!
そういや、エリザベスには今まで反応してませんでしたね。
『いつまでこんな事。。。』を検索して出てきた記事が以下です。

ゲーテとは…

[2007/07/22 18:30]


ギョーテとは 俺のことかと ゲーテ言い    (斎藤緑雨)

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さーてさて、目指せ!! 平成の女蜀山人!、積み残しはねぇが?ということでございまして、本日は文豪ゲーテに関しましてでございます。
そうですよねえ。同Blogにおきましては、この大文豪に触れてませんでした。
まあ、この記事をTBに乗せて触れたことはあるんですがね。
え? 70歳の時17歳の少女に熱烈な恋をした(→)という逸話。
おっと、おっと、入るとしましょう。

ゲーテというのは今でこそゲーテですけど、って何か変な言いまわしてすねえ。
えーっと、今でこそゲーテですけど、かの昔は色んな表記をしたようですよ。
何でも「ギョエテ」「ゲョエテ」「ギョーツ」「グーテ」「ゲエテ」など数十種類にものぼったとか。
そんなGoethe表記を、明治の文筆家・斎藤緑雨はかくのごとく諷しました。
まあ、実際外国人名の表記というものは統一されてないことが少なくないものです。

うん、この稿では既に サディズムに花束を! を紹介してるか。
サディズムの語源に用いられたサド侯爵も「サード侯」と伸ばして表記されることもあるし。
その命名者であるエービングも「エビング」と伸ばさないで表記することがあるの?
つい先日、どこぞで見ました。

話ついでです。
サド花記事の別稿エリザベス・パソリー - 吸血症の妖女、別の奇行とは?をお読み願いますか?
以下、反転文字をクリックしてお読み願えたものとして話を進めます。

バートリ・エルジェーベト、もしくはエリザベート・バートリ(ハンガリー語:Báthory Erzsébét、スロバキア語:Alžbeta Bátoriová-Nádašdy、1560年8月7日? - 1614年8月21日?)は、ハンガリーの貴族。史上名高い連続殺人者とされ、吸血鬼伝説のモデルともなった。「流血の伯爵夫人」という異名を持つ。<br /><br />目次 [非表示]<br />1 家系 <br />2 残虐行為 <br />3 裁判 <br />4 伝説 <br />5 陰謀説 <br />6 吸血鬼 <br />7 関連項目 <br />8 外部リンク <br /><br />[編集] 家系<br />名門ハプスブルク家の血を引き、17世紀当時トランシルヴァニアの中で最も伝統があり且つ裕福なバートリ家の生まれ。ポーランド王ステファン・バートリの姪に当たり、当時のトランシルヴァニア公やハンガリー宰相も従兄弟である。<br />しかしエルジェーベトの近親者には同性愛者(叔母)、悪魔崇拝者(叔父)、色情狂(兄弟)等と噂されたものがおり、本人も幼いときから感情の起伏が激しく、エキセントリックな性格を有していた。また、14歳で召使の子を妊娠したともいう。<br />1575年、11歳年上のハンガリーのナーダジュディ伯爵フェレンツと結婚したが、夫よりも高い身分にあったため、結婚後もバートリ姓を名乗った。ナーダジュディはトルコとの戦争におけるハンガリー軍の指揮官の1人であり、勇者として知られていたが同時にその残虐さでも有名だった。<br /><br />[編集] 残虐行為<br />トルコとの戦争により夫が留守がちの中、エルジェーベトは多くの異性、同性を問わない愛人を持ち、贅を尽くすことと自らの美貌を保つことに執着したという。しかし、夫婦仲は良く、娘3人(4人とも)と息子1人を産んでいる。1602年(または1604年)に夫が亡くなると、夫から贈与されて彼女自身の所有となっていたスロバキア地方のチェイテ城に居を移した。<br />召使に対する残虐行為は、夫が生きている頃から始まっていた(あるいは召使に対する折檻は夫から教えられた)と考えられているが、夫と死別後に一層エスカレートしたようである。当初は近隣の農村の娘を雇ったり誘拐したりして惨殺していたが、やがて下級貴族の娘を「礼儀作法を習わせる」と誘い出し、残虐行為は貴族の娘にも及ぶようになった。<br />地元のルター派の牧師の告発により、役人達は薄々事態に気付いていたが、バートリ家の名誉を考慮し内密にしていたようである。しかし貴族の娘に被害が及ぶようになると、ハンガリー王家(ハプスブルク家)でもこの事件が噂され始め、1610年に、ついに捜査が行われることになった。城に入った役人達は、多くの残虐行為が行われた死体と衰弱した若干の生存者を発見した。また、城のあちこちに多くの死体が埋められていることも後に明らかになった。<br /><br />[編集] 裁判<br />1611年の裁判では、生き残りの被害者、被害者の家族の証言が行われ、関連した侍女や召使達は拷問の末、多くの残虐行為を認めた。<br />証言によると、残虐行為には棒で叩く、鞭打つ等の通常の折檻の他、娘達の皮膚をナイフや針で切り裂いたり、性器や指を切断すると言った行為が含まれ、エルジェーベトの寝台の回りには、流れ落ちた血を吸い込ませるために灰が撒かれていたという。また、スパイクのついた球形の狭い檻の中に娘達を入れて、身動きするたびに傷つくのを見て楽しむこともあった。さらに身体の具合が悪いときには、娘達の腕や乳房や顔に噛み付き、その肉を食べたともいう。これらの証言から、「血の風呂」や「鉄の処女」、吸血鬼の伝説につながったと思われる。<br />また、エルジェーベトが同性愛、多淫、黒魔術を行ったなどの証言もあった。<br />被害者の数は、エルジェーベト本人の記録では650人、裁判で正式に認定されたのが80人だが、ハンガリー王マティアスの手紙では300人はいると認識されていたようである。<br />荷担した召使らは全て処刑されたが、エルジェーベト本人は高貴な家系であるため、裁判は行われず、壁と窓を塗り込めたチェイテ城の自身の寝室に幽閉された。1614年に、食事の差入れ用の小窓から部屋を覗いた監視係の兵士により死亡が確認された。彼女の所領は子供達が相続することを許されている。<br /><br />[編集] 伝説<br />以下の逸話は、裁判記録にはなく、噂や後の創作であると考えられている。<br />ある時、粗相をした侍女を折檻したところ、その血が手の甲にかかり、血をふき取った後の肌が非常に美しくなったように思えたということがあってから、若い処女の血液を求め、侍女を始め近隣の娘を片っ端からさらっては生き血を搾り取り、血液がまだ温かいうちにその中に身を浸す、という残虐極まりない行為を繰り返すようになった。その刑具として鉄の処女を作らせ、用いたと言われている。<br />1729年にイエズス会の学者が「Tragica historia(悲劇の歴史)」で書いたのが最初であり、その後、人々の想像力を刺激し広く知られるようになったと思われる。裁判記録が最初に公表されたのは1817年(1765年に存在が明らかになった)であり、上記の伝説が当時の記録に無かったことが判明したが、あまり知られなかったようである。<br /><br />[編集] 陰謀説<br />当時のハンガリー国王はエルジェーベトの夫に負債があり、その負債を帳消にし有力なバートリ一族の権力を抑えるため、仕組まれたものであると言う説を、一族、子孫や一部のものが主張している。確かに加害者の証言は拷問により得られたものであり、エルジェーベト自身は一切の犯行を否認している。しかし逮捕や取り調べには、バートリ一族の者も加わっており、権力闘争に係わる思惑により捜査が進められ、証言が誇張された可能性はあるが、事実無根と考える研究者はほとんどいない。<br /><br />[編集] 吸血鬼<br />血が流れることを好んだ、被害者の皮膚をかじって血肉を喰らう行為、淫乱で黒魔術を好み悪魔崇拝をしたという証言から吸血鬼のイメージが付加されるようになった。シェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』(1872年)は、エルジェーベトをモデルにしていると言われ、ブラム・ストーカーの恐怖小説「吸血鬼ドラキュラ」もそのイメージを多く採り入れている。<br /><br />[編集] 関連項目<br />バートリ家 <br />吸血鬼 <br />ヴラド・ツェペシュ <br />ジル・ド・レイ <br />鉄の処女 <br />金田一少年の事件簿(異人館村殺人事件) <br />孔雀王退魔聖伝 <br />ゴーストハント <br />クレイドル・オブ・フィルス <br />バソリー <br />BLUE BLOOD <br />ラディカル・ホスピタル(赤坂しの外科医) <br />ベルサイユのばら(外伝 黒衣の伯爵夫人) <br /><br />[編集] 外部リンク<br />Crime Library article on Erzsébet Báthory、英語 <br />BBC piece on Erzsébet Báthory、英語 <br />Story of a Bloody Lady from Cachtice、英語・スロバキア語 <br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%88 より作成<br />カテゴリ: ハンガリー史の人物 | トランシルヴァニア | シリアルキラー | 1560年生 | 1614年没dce8276d.jpg
で、このパソリー稿を持ち出した訳はといえば。
いや、拙サド花に触発されて自サイト立ち上げた方がいらっしゃるようなんです。
今朝程そちらを拝見して見つけた人名。
バートリ・エルジェーベト… エリゼベート・バートリ… 

うん、間違いありませんね。Wikipediaにも項目がありますわ。
そうでした、そうでした。元記事で話したようにハンガリーの人名は我々と同じく姓名の順で、「長崎の女」にあらず。

というわけで、パソリー女史、no image から肖像つきに昇格、
というわけで、英語圏の女性であろうという記述は誤り、
というわけで、パソリー稿、2度目の訂正、

以上をもちまして、本加筆は サディズムに花束を! 〆後加筆を兼ねます。

もう少し、話を続けますか。
そうです、そうです、ここで終えたら尻切れトンボではありませぬか。
えー、外国人名表記。

まあ実際、欧米の人たちって、割りと鷹揚ですね。
「ん? それが(日本における)私の名前なの?」
周りをみても、んな感じです。
欧米流の合理主義ということで、名前なんて符牒に過ぎないという感覚なんでしょう。
これが同じ外人でも、より近いアジア人となれば…

好対照ですよねえ。
欧米人と同じく「それが(日本における)」のとこもあれば、自国語読みをしないのは差別だとまでいうとこもあり。
あ、同じく漢字を使うお隣の国のことです。
ねえ? 方や日本語読みで自己紹介、方やTV新聞にまで怒鳴り込む…
ご存知のとおり、大陸系→漢字表記 半島→片仮名表記 の現況です。

で、私の住まうネット巷間におきますればです。
やはり居ますよねえ。やたら名前にこだわる面々が。
自分の名乗ったハンドルで呼びかけて欲しいと…
それがネット(コミュニケーション)における至上目的と信じてるように見受けます。
はなはだしくは、それに敬称をつけないのは礼儀に反する行為だとかまで。

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という書き方をする私は、こうした人種には懐疑的。
ということは、私、案外欧米ばりのものの考え方なんでしょう。
そうですよ、ハンドルなんてのは符牒の典型例、私自身はこんなもので呼びかけて欲しいなんて微塵も感じません。

文字だけの存在であるネット人格は、こうした投稿だけがその実体、そこに入れた署名(めいたもの)だけで全体をみて欲しくはないですわ。
うん、掲示板にあるレス番号、こっちで呼ばれるほうがまだいい、なぜなら実体たる投稿についた整理番号ですから。
ある意味排他利用が適っている上に、きちっと実体(たる投稿全体)を化体している。
なーんがハンドル、あーんが「名前を呼んでほしい」ですかよ?!
かの大文豪にしても、自分の遺した文学作品が読まれているかどうかが関心事であって、ギョーテだかゲーテだかって話はどうでもよかった筈です。

   ゲーテとは 俺のことかと ゲーテ言い

舞台裏を明かすなら、私、冒頭の川柳をこのように記憶してました。
むしろこっちのほうが、うん、より趣旨の伝わる秀作といえるでしょう。

以上、昨日に引き続いての名前談義、いやもう数日続いてるのかな?

 私って"するーか"がないヒトらしいのね(´・ω・)

…って、これ、私のオトし台詞じゃないじゃんかよ、あはっ!

目指せ!! 平成の女蜀山人! 閉鎖後加筆(抜粋)


お付き合い有難うございました。
エリザベスはエリザベスでも人違い、吸血鬼バトリでしたね。
こりゃ、50歳と14歳が性交の時に出すべきだったか。
英国王のエリザベスは、佐渡花をめくらねば触れてなかったようです。

エリザベス一世 - スペイン無敵艦隊を討ち破る

(2006年 サディズムに花束を!)

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名実ともに女王様である人物を登場させよう。
ヨーロッパの女性君主には、あちらの意味でも女王様であるケースが多い。
中には自分宛の手紙を配達してきた配達夫を全て断頭台にかけた女王もいたとか。

かの『流血のメアリー』の後を継いだエリザベス一世も処刑にかけては先代にひけはとらない。
どうも彼女は、好きになった男を断頭台に送ってしまう癖があったようだ。
だから、生涯子をなすことがなかったのであるが。
その分、為政でカタルシスしたのかもしれない。

さて、エリザベス一世即位当時はスペインが世界最強国であった。
彼女は考える。どうやってあの無敵艦隊を破るか?
そして一つのアイデアが浮かぶ。
もうひとつの頭痛のタネ、海という海を荒らしまわっている海賊連中。
彼らを使えないものかと。毒をもって毒を制す。

紆余曲折あって、いよいよ海賊首脳部との会見に及ぶ。
彼女は、本題から入らず古典文学の話を用いだし海賊どもの機先を制した。
頃やよしと見て女王は切り出す。「さて、最近、そのほうら…」

いよいよ説教が始まるのかとビクついた海賊どもの耳に飛び込んできたのは、意外や意外、「もっと、おやりよ」という励ましの言葉であった。
「海賊船であることさえ示めさなければ、我が国どの港への寄港も許す」
「水・食料・燃料を提供する」
海賊にすれば、どれひとつとっても、耳を疑うようなおいしい話ばかり。女王の申し出を辞退する理由はない。
全ての条件に合意し、下がろうとした彼らをエリザベスは呼び止めた。

「お待ちよ。これだけ有利な条件出してるんだから、そっもアガリの…」

この瞬間、エリザベス一世は海賊集団の『大姉御』となったのである。
そして、彼女は子飼いとなった海賊どもに教育を施しスペイン無敵艦隊に勝る海軍を育成していく。

さて、この記事における論者の目的は、フェムドム信奉者の描くサド性むき出しの支配者像に一石を投ずることある。
もしエリザベス一世がサド性を爆発させ海賊狩りをしていたのであったなら、以後の大英帝国は存在しなかった。
耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び…支配とはむしろ忍従的なものでおる。

ここまでが本論であるのだが、少々余談を。

このブログもお世話になっているライブドアは、M&Aという言葉を世間に広めてくれた。
そしてその企業買収路線の暴走からの脱線した。
エリザベス一世の海賊集団買収はM&Aそのもの。
16世紀のヨーロッパには、世界最強艦隊以上の海軍を只で買収してのけた『天才女社長』がいたのである。

ま、英国王のエリザベスといえばこの人ですよね。
それにしてもです。
何ですか?日本のマスコミって、エリザベス女王、エリザベス女王ちゃ。
いかなお飾り元首でも、前国王・エリザベス二世と呼ぶべきでしょうよ。いかな敵国であっても失礼だと思います。
要はけじめの一言ですよ。
向こうのニュース聞いてたらsecondの音が何度も耳に入って来ました。

よく、日本人は礼儀正しいと、諸外国からお褒め頂きますが、案外礼儀知らずなんですよね。
前に、露助の親玉…もとい!モスクワ殿・ウラジミールプーチン氏来日の折、当時の首相のことをちゃんと『安倍総理大臣閣下』と呼んでましたよ。それなのに今はなき安倍さんたら、タメで行こうなぞと最高にはしゃぎまくって…
あきれられて、さぞや下に見られた筈です。

おっと、本稿はエリザベスでしたね。
エリザベス、エリザベス。
老舗の(男性)女装の店、って、何で私ゃ、こんな事知ってる?、あはっ!

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