静岡牧之原の女児の悲報が入ってきたために、富山高岡の男の子に触れるのがすっかり後になってしまいました。やっぱ駄目でしたねえ、かわいそうでした
万葉集 万葉の人々 万葉のこころ 犬養孝 齋藤杏花facebook Facebook 十五夜 十六夜 高岡男児不明 神隠し 齋藤杏花 (さいとうあんな) 齋藤杏花 越中守・大伴家持 大伴家持 我がやどに 花ぞ咲きたる そを見れど 心もゆかず はしきやし 妹がありせば 水鴨なす 二人並び居 折りても 見せましものを うつせみの 借れる身なれば 露霜の 消ぬるがごとく あしひきの 山道を指して 入日なす 隠りにしかば そこ思ふに 胸こそ痛き 言ひも得ず 名付けも知らず 跡もなき 世の中なれば 為むすべもなし 時はしも いつもあらむを 心痛く い行く我妹か みどり子を置きて 出でて行く 道知らませば あらかじめ 妹を留めむ 関も置かましを 妹が見し やどに花咲き 時は経ぬ 我が泣く涙 いまだ干なくに
ここ数年来で最高の十五夜でした。
たで たで がきつ~♪
ああ、今年も飽きるほど歌わされましたわ。子どもっちゃ、よーも飽きないもんだ…と思いきや、考えてみますれば、メンバーに若干の変動もあんだな、
ううん。チビさんがものが分かるようになってきただけでないです。
新メンバーで甥っ子たちが加わってますからねえ、
って、タブーの私生活暴露だ、噺行きましょう。
十五夜の翌日は十六夜、ってことで今日はいざよいです。
いざようからいざよいってことで、この言葉、地上の子どもの事を彷彿されます。
噺は転じてますよ~、タイトルにもした富山高岡の不明事故の男の子です。
2歳半ですから、まだ教えてやっても分かりませんよねえ。
歩けるようになったのが面白くて、普段とは違う外の様子に興味をしめし一人で勝手に出て行ってしまう、
誰が悪いと責めることはできません。
昔は神隠しってことになったのでしょう。
神様なるものが連れてっちまったと。
齋藤杏花 (さいとうあんな)はそれでいい、否、それがいいと思います。
天を敬え!地を恐れよ!
すっかり奢り高ぶった現代人に対する、それこそ神様の警告なのでしょう。
ニュースのバカ。死亡が確認された後に何度も生前の動画を流すなよ!
全くの赤の他人ながら、縁もゆかりもない私までが胸を締め付けられます。
実は、この報が速報で流れてきたのは、丁度先週の日曜だったんですね。
中山カナちゃんがあの人らしく、感情を込めて読み上げてましたわ。
そして、その一方(?)本BLOGは、その日の記事で、越中守・大伴家持のことを。
高岡氷見、馴染みの地名が出てきます。
それでは本日は、大伴家持続編で、家持始めての長歌をあげましょう。
我がやどに 花ぞ咲きたる そを見れど 心もゆかず はしきやし 妹がありせば 水鴨なす 二人並び居 折りても 見せましものを うつせみの 借れる身なれば 露霜の 消ぬるがごとく あしひきの 山道を指して 入日なす 隠りにしかば そこ思ふに 胸こそ痛き 言ひも得ず 名付けも知らず 跡もなき 世の中なれば 為むすべもなし
反歌時はしも いつもあらむを 心痛く い行く我妹か みどり子を置きて
出でて行く 道知らませば あらかじめ 妹を留めむ 関も置かましを
妹が見し やどに花咲き 時は経ぬ 我が泣く涙 いまだ干なくに
巻三466-469、実はこの4首をを挟み前後延々と続く亡妻への思いを綴るシリーズ物です。
ここで妻と言っても、前回の坂上大嬢ではない、別の女性で普通、(家持の)妾と称されます。
けどまあ、今の感覚の妾とはまるっきり意味が違う、当時と今の結婚観がまるっきり違う事を頭に入れねばならないでしょう。
歌に歌われたとおり、別妻は幼子を遺し家持に先立つことになるのです。
で、です。
この一連の歌で何か思い出しませんか?
そうです、そうです。
父旅人もやはり妻に先立たれてたのでしたよ。
明らかに影響を受けてます。
いずれのパターンにせよ、肉親との死別とはつらいもの。