別れた人に会った♪ が、どうにも気になって堪らない、ホント、単細胞の齋藤杏花 (さいとうあんな)です
齋藤杏花 (さいとうあんな) 齋藤杏花 「別れても好きな人」の歌詞通り渋谷から歩いたらどうなる? 約16キロの過酷な道程が発覚、驚きと笑いを呼ぶ しかも、別れたときと同じ雨の夜に傘もささず。 ロス・インディオス&シルヴィア 別れても好きな人 渋谷 歌は世につれ、世は歌につれ 鬼平犯科帳 赤坂 松平ケメ子 歌詞変更 青山→原宿、狸穴→高輪 乃木坂&一ツ木通り 武蔵野台地 ケメ子 仮想人格 体育会系
どうも天気もWEBサービスも安定しない状況は相変わらずのようです。
と書いても、あくまでも本稿を書いてる時の状況でのお話でして、皆さんがこの投稿をお読みになる頃には、「何を今頃になって?」になってる事を祈るばかりです。
んでお噺も、元々が日曜の日の事の回想ですので、既に気の抜けたサイダーかもしれません。
某ツイッターで見つけたこれ。
「別れても好きな人」の歌詞通り渋谷から歩いたらどうなる?
→約16キロの過酷な道程が発覚、驚きと笑いを呼ぶしかも、別れたときと同じ雨の夜に傘もささず。
別れた恋人たちが別れた渋谷で再会し、原宿や赤坂へと歩きながら思い出を振り返る――「別れても好きな人」(ロス・インディオス&シルヴィア)の歌詞通りに東京の町を歩いたらどれほどかかるのか? 計算で判明した約16キロにも及ぶ過酷な道程が笑いを呼んでいます。せっかくの機会に何をしてるんだこの2人……。
順にいきましょっか。
歌詞を引用すると下記となります。
別れた人に会った 別れた渋谷で会った
別れたときと同じ 雨の夜だった
傘もささずに原宿 思い出語って赤坂
恋人同士にかえって グラスかたむけた
やっぱり忘れられない
変わらぬやさしい言葉で
私をつつんでしまう だめよ弱いから
別れても
好きな人
別れても
好きな人
歩きたいのよ高輪 灯りがゆれてるタワー
おもいがけない一夜の 恋のいたずらね
ちょっぴり淋しい乃木坂 いつもの一ツ木通り
ここでさよならするわ 雨の夜だから
やっぱり忘れられない
変わらぬやさしい言葉で
私をつつんでしまう だめよ弱いから
別れても
好きな人
別れても
好きな人
別れても
好きな人
別れても
好きな人
そして、これを踏まえたとこで、冒頭の地図を更に膨らますならこう。
成程、こりゃありえませんわ。
真面目に考えたら、お笑いの種でしかありません。
渋谷って土地なんですよ。
その通り、ここって谷なんですよね。まっすぐに掘ってった地下鉄が付き抜けて地上最上階の駅になったのは有名な逸話です。
そもそもが太古の豊島郡と荏原郡の境界の人里離れた場所でして、だからこそその後の都市化は急ピッチだったのですが、少なくとも東京市になったのは稲毛が千葉市になったのよりは後です。
鬼平犯科帳ファンである齋藤杏花 (さいとうあんな)が頭に浮かんだのは、俄か雨の回で峯太郎同心がおふんどし置忘れた空き家がここらなのかなって。
あっと、話を戻せば、渋谷起点の徒歩行を考えるなら距離だけでなく高低差も考えないといかんと言う事です。
>傘もささずに原宿 純然たる地名の原宿ではないでしょう。
おそらくは俗にいうとこのキャットストリートというデートスポットを行ったんでしょうが、渋谷から赤坂に向かうとすれば明らかに方向違いです。
ですので、徒歩は目的もなしに歩いた原宿に行ったとこまでで、その後赤坂の店で飲みながらって話になった折に、車拾って向かったと解すべきでしょう。
そして、2番に入ったことで、何よりも不可解な、
>歩きたいのよ高輪
実際に歩いたってことはありません。
グラス傾けながら遠景の東京タワーをみて、高輪方向からみたタワーはもっと映える、と話がはずんだ、だから「歩きたい」願望の形になってます。
そう解釈するなら、歩いたのはキャットストリートと帰りの乃木坂&一ツ木通りで、決して不可能な雨の夜デートでもありません。
でね、ここで重要な話があるんです。
別れても好きな人。
大ヒットしたロス・インディオスの曲がオリジナルと思われがちですが、実は違います。
なんと遡ること10年も前に、ひっそりと二社競売で発表されてたんですよ。
上記がそれです。
お聞きいただけたでしょうか?オリジナルの歌詞は、ビミョーに地名が違うんですよ。
歌詞変更 青山→原宿、狸穴→高輪 に留意。
そうなったら、大分すっきりしますよ。
渋谷の駅東側でばったり再会し、六本木通り普通に歩いて赤坂に。
赤坂、赤坂といっても赤坂はいささか広うござんす。
南端ぎりぎりの大使館の南あたりのバーでしょう。
これなら武蔵野台地の麓をぐるっと行った一本道ですので不自然はありません。
そしてバーを出て乃木坂を登り岐路に着かなければならないけど名残尽きず、逆方向の狸穴に出て夜景のタワーを店よりも近くでみる。
いつもの一ツ木通りでお別れが生きます。
まあそれでも長いけどね。
当時の女性のヒールで雨の日に歩くのは容易ではありません。
ここで、歌手を思い出してください。
ケメ子さんですよ。ケメ子。
聞いてまわったんですけどね。
その折可也流行った仮想人格のようですね。
今でいうとこのVRやらボカロみたいなものなんかな?
私がケメ子よ、と現れ出たのが上述の歌手なのです。
ねえ?デートで男の4倍は食べるあっけらかんとした健啖家。(大食い文化が根付いた今でこそさして奇異ではないが、当時では考えられない事だった)
これならば間違いなく体育会系ですから、雨の夜のデートでも苦労なく『オリジナル短縮ルート』を歩けることでしょう。
とー、
以上、それなりに時間を掛けて調べ捲くった齋藤杏花 (さいとうあんな)の、歌は世につれ、世は歌につれ談義でした。