前稿に続き、母の日を書きます。ですので投稿日は2022.5.9ではなく5/8〆后ってことにしてチョーダイ、あはっ!
六菖十菊 母の日 菖蒲湯 こどもの日 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する 齋藤杏花 (さいとうあんな) 齋藤杏花 道志村 知床遊覧船 ツイッター 岸壁の母 小倉とも子 歌謡浪曲 二葉百合子 菊池章子 妈妈 嗚呼、中国の媽々 三波春夫 開拓者たち 残留孤児 オバQ 母の月
えー、六菖十菊でした。
そうなんですよ。早くに買っておいたもんで当日入れるの忘れて、仕方なしに六日に入れたのでしたわ。
そんでもってですよ。癪ん触るもんでそのまま昨日まで入れっぱなしにしてありまして。
いやいや勿論都度洗っててすけど、8日の母の日まで菖蒲湯に入っておりました。
えー、ここで祝日法に定めるこどもの日の趣旨。
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」
ね?母の日まで続くのが端午の節句なんですよ、
ってなんて負け惜しみが強いのでしょうか?
つくづく凹まねえのが齋藤杏花 (さいとうあんな)でございます。
んで母の日でしたね。
そう。実は道志村か知床で何らか新たな発見があるものと踏んでたんですが、アテが大外れ、だもんでこうして不完全燃焼で燻っておるわけです。
殊に道志村の小倉さんの方は連休前から記事書いて、某ツイッターで宣伝しまくってたせいもありまして、期待はしてたんですがね。
その際、反論とまでは行かないまでも違った感覚での返信を頂きました。
死んだと頭では解っていても受け入れる事が出来ないのが母親というものではないのか?と。
ご尤も、岸壁の母ですね。
こう返しました。いやはやとんだ記事で使ってたもの…
この後もいいましたか。
おっと、その際は敢て言わなかったんですけど、岸壁の母の時代とは明らかに状況が異なります。
くどいようですけど小倉さん。見ててつらいですよ。
貴女の態度から子どもに対する愛情以外のものを感じ取ってるのは、私ひとりだけでないようです。
おっと、熱が入りすぎました。
岸壁の母の話をするつもりだったんですよね。
今、オリジナルの菊池章子は中々探せない、リバイバルの二葉百合子版が主流になってます。
悪くない、二葉は嫌いではありませんし、歌謡浪曲は大好きな齋藤杏花 (さいとうあんな)ですので決して拒否するもんではありません。
けどね、岸壁の母を歌謡浪曲にしたのは悪乗りだと思うんですよ。
下品!何か見世物みたいになっちまって、原曲の哀愁がすっかりふっとんでしまいました。
ここは、菊池版に限るってことで聞いてみましょう。
歌謡浪曲化にそぐわないいわれりゃ、本家三波春夫大先生の妈妈もあんま受けませんでしたね。
そうそう、一般に中文といわれる北京語でもママはそのまま妈妈なんです。
国交正常化何周年かの記念で作った『嗚呼、中国の媽々』も今は歌謡曲部が断片的に拾える位で。
どんな物語かと言えば、残留孤児の話、ドラマの『開拓者たち』にもありましたよね。
満州の地から命からがら逃げだす日本人母子に、子どもを死なせたばかりの現地民が食べ物を恵んでくれて。
「お前一人ならここで暮らせるかもしれない。いいかい、あっちのおばちゃんの子になるんだよ!」
…新井浩文もくだんねえ事で足掬われたもんです。
ある意味あれも『あたり屋』、世の中には恥の意識の薄い者も多いもんで、新井よりもパンマに方に腹がたちますわ。
あの名場面がつまらぬことで見られなくなってしまって、返す返すも口惜しいことです。んと?
そうだ!残留孤児というなら、オバQが人間界への残留孤児なんですよね。ですのでお化けの基本能力のうち化ける能力のないQちゃんなんです。
あれはアニメのいつのシリーズだったか。お化けの世界から両親が尋ねて来る回がありました。
妹P子から事情を聞き心配して、化けるための教科書をお土産に携えてです。
ひとしきり甘え一時をともにしたQ太郎は両親を送り返し、一人になって急に真面目な顔立ちになります。
そしてお土産の教科書を、なんと、裏庭で焼き捨てるのです。
「折角だけれどこれは要らない。僕はこの世界で人間になるんだ」
私、それを見て泣けて泣けて仕方ありませんでした。
えっと、何の話でしたっけ?
今年は5月一杯母の月にしよういう声は聞きませんよね。
ですので正真正銘母の日も終わり、市川ママが市川真間に戻ったとこでお後にしようと思います。