昨日からの発展で16年前の熱稿『ミイラ二題』を復元します。道志村と知床遊覧船のご遺族に是非お読み頂き…いえいえ!根っ子にある犬養先生の万葉の人々をですよ!

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さあ、毎度毎度バカみてえな大型連休も終わり。
今日より平常に戻ります。
しまった!私ゃ何やってんだよ…
いえね、昨日お風呂に菖蒲入れんの忘れてましてね。
何故か夜中に目が覚めそれで気付いたもので気になって、気になって。
早くに買いすぎたせいでしょうね、しゃあない一日遅れで。

名実ともの六菖十菊、、、

連中と来たら何で教えてくんないんだよ?
まったく昨日はね。何度こいのぼりの歌、唄わされたことか。
朝も早よからせっつかれてさ。ぐぅー、甍中毒になりそう、、、
いえね、私の子達ですから元々が外出は好まない、
遊びにつれてってやると誘い「お母さんのお唄の方がいい」と断られた親たち、あ、私のよ、が「ほら唄ってやりなさい!」と不貞腐れたもんでさ。
奴等、甍中毒になんなかったんでしょうかねえ?おっと、喋りすぎ、噺行きましょう。

新カテゴリについては、追ってお話するとして、昨日の積み残しです。
云ったように、ホント、膨大な量の記事を復元したわけですが、そん中の不足箇所を点検しましてね。
そうそう、記事アイコン。

五月雨の 降残してや 光堂

ミイラ二題を復元しておかなければ一連の流れが繋がりません。
先ずは、娘時代2番目に手がけた『サディズムに花束を!』から件の稿を復元します。

ミイラ二題


さて、先日論題とした会員制SNS『mixi』で不祥事が起こった。
何でも、とある大学生が皮膚病とみられる患者を隠し撮りし、7月9日にmixi上の日記に包帯で左腕を覆った写真を掲載。「ミイラが来た」「刺激臭がする」などと書き込んだというのだ。
まあ、ひどい話だ、と言い切っていいだろう。
そして、起こるべくして起こった、という評価も。

既報のとおりmixiというのは会員制、通例ならば外部にこの件が漏れるはずはない。
直後に別の会員が掲示板サイト「2ちゃんねる」に転載したために、白日の下に晒されることとなったのだ。
勝ち誇ったような言い方で恐縮であるが、インターネットというものをマクロ的に捉えれば、非公開・会員制というのが如何に危険であるか、公開し万人の閲覧のように供することが如何に大切かということが証明されたということだ。
そう、例えば2ちゃんねるに脅迫文でも書き込んだら、たちどころに書き込み者たる実人格が御用となる。
だからこそ、歯止めが利く。誰が見ているかわからない場所にこんなことを書いたら思わぬ顰蹙を買うかもしれない、だからやめておこう、と。
言ってみれば、これが(公開掲示板である)ネット掲示板の持つ自浄作用である。

対して、会員制(訪問者を選別しているところも含んで)BBSでは当然のこと、こうした歯止めがかからない。
皆同志だ、下手なことを書いても会員が、同志が庇ってくれるだろう…
前にも言ったか?

アダルト禁止のお絵かき掲示板に男性器描写のCGを作画し板救世主を気取ったイラストレーター…
妻子の前で蹴り殺されたいとの旨の発言を続けた自称マゾ男…
現役教師だからこそできるリアルな描写をキャッチフレーズに集客をした少女に対する特異性癖テーマの同人併設サイト管理人。

彼らとて、(早い段階で)誰かにたしなめられれば、或いは失言に気づいたかもしれないのに…
甚だ口惜しいかな、たしなめる人間は『荒らし』なるものというのが、現行のネットの通例なのである。
自浄作用が働かないものだから、このようにしばしば暴走する。

株式会社ミクシィは件の会員を除名にし、以来ニュース等からmixiの名前が消えたようである。
が、断じてこれは個会員の問題ではない。会員制SNSのシステムそのものの問題だ。
気心のしれた相手しか見てない閉鎖組織…
気が緩み、不穏当な言動をしてしまうこともあろう。
論者も、これをお読みの各位も、件の岩手大学生と同じ過ちをしてしまうこともあるのだ。人間とは間違いをする動物…

まあ、会員制危うしと繰り返す次第、笠原健治氏は西村博之氏に救われた、といったところである。
少なくともこれで、「mixi会員の質は2ちゃんねる常連書き込み者よりも下」との評が正確であることがはっきりした。
違うか?
件のミイラ発言の処断をしたのは、運営会社であるミクシィでなく、2ちゃんねるであったのであるが。

この件はここらにして、もう一題のミイラの話に。
既論の岡本千鶴子だ。
本日、初公判が開かれた。起訴事実である殺人には、この際触れまい。
復習するに、ミイラ化したわが子の死体と20年以上も暮らし続けた人物、屍体愛好の典型と論じた。

そもそもミイラというのは、死者の魂は元の肉体に戻ってくると信じた古代エジプト人が、乾燥気候である利点をもって行っていた死体保存である。
この心裏にあるのは、死者に対する礼という正常心理? はたまた屍体愛好という異常心理? と問われれば。
前者であると思うのであるのだが…
じゃあ古代エジプト人のやったことと岡本千鶴子の犯行とはどう違うのか?と反論されると弱い。
別ブログでは、こう逃げた。

猿が人間に進化したわけではない。共通の祖先から、猿と人間が誕生した。
これと同じく、古代人の持っていた魂の概念という共通の祖先から、現代人の持つ魂の概念とフェチシズムという似て非なるものが生まれ出でた、

と。

さてまあ、二題とは云ったものの当時の岩手大学生『かっつ』なんてのは最早なんの情報価値もなし、問題は残りの一題、同じく世間では既に忘却の彼方にある、岡本千鶴子の方です。
かく云う齋藤杏花 (さいとうあんな)ですら、平塚5遺体事件は微かに記憶にあるものの、岡本の名前は忘却の彼方。
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えーっと、これか。
抜粋で復元しておきましょう。

(前半部省略)溺愛する娘を手にかけたこともさることながら、実の子と推定される遺体と何十年も同居し続けたことである。
見方によれば、情が深い。
死んだ、ガスで焼いてしまう、という通例を容認できなかったとするなら、死んだ小猿をミイラなるまで抱いたままでいる母猿の行動にも似る。
更に言えば、屍体崇拝の心裏もまた万人が持つものである。特に仏教徒はそれが強い。(遺骨、遺灰、釈迦の骨である舎利など)

だが、いうまでもなく、程度の問題だ。
その基準を論者が示すことは、おこがましい限りであるので、制度面で踏み込もう。死者は墓所に葬らなければならぬと法律で決まっている。
決まっている以上は、個人的嗜好いかんに拘らず従わざるを得ないだろう。人はエテ公ではないのである。

いつまでも忘れないことも供養なら、忘れることもまた供養ではないか?
ここに『偲ぶ』という言葉がある。

最後の部分は、本BLOGでも使った覚えがありますが、その他はどっちだったか定かではありません。

んで、今何でこんな話か?
勿体付けるまでもありませんでしたね、タイトルで述べてます。
そうなのです、知床遊覧船のほうは定かにあらず、道志村の方の小倉とも子さんのほうなんですよ。

見た目は正反対かもしれない、けど、わが子の死をどうしても認めたくないという点では双生児のようにそっくりですよね。
私はどうにも見かねて、SNSを精力的に手がけてるという小倉さんのものとされるアカウントやその他関連ニュース記事に、犬養先生の万葉の人々・霊魂の回を紹介して回りました。
ご本人に届いたかはしれませんが、お陰様で可也の数のアクセスは頂きまして。
ともに5日の日も捜索するも新たな手ががりが得られなかった、知床遊覧船ご遺族の方にも是非お聞きになって頂きたい。


たった一つの石ころ、何の変哲もない只の石ころに一人の人間を投影することのできる、人間の心の厚み

先生は、これを人の頼もしさと表現されてます。

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