万葉の昔、春の花はといえば
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ラクシュミって、あくしゅみ~
って、さてはて何のことでしょう?
日本列島は、この土日、サクラの見ごろを迎えました。
そうそう。おらっとこのベランダからも、遠目に児童公園のサクラがみえるんですよ。
近目に見ようと外に出たついでにちょっと足を伸ばし、京成の線路脇の桜並木を見に行きました。
そしたら…
変ですねえ、いつもの年なら薄桃のトンネルになってる時期だというのに、全然咲いてない。
んでよく見ると、なんと、大きな新しい切り株列!
いやあ、知らぬうちに伐採されてたんですわ、残念。
楽しみがまたひとつ消えてしまいました。
このようにでございます。
古典で単に花といえばサクラを指すくらい、日本を代表する花なんですが、残念ながら既報のとおり万葉集にはほとんどありません。
ソメイヨシノってのは自然木でなく接木や挿し木で作られたものですので、万葉時代にはまだなかったんでしょう。
じゃ春の花は?
ウメ?
令和由来の折の零れ話で、万葉の春の花とする説が広がってしまいましたが、存外そうでないと思うんですよ。
簡単に言いますが、大陸渡来の外来種という認識が正しいと思います。
事実梅と言う漢字の読み方…
おっと、ここでは割愛します。
万葉集における春の花というなら、ツバキはどうでしょうかねえ?
有名どころから一首いきましょうか。
巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を
出ました、出ました、つらつら椿! 巻一54・坂門人足です。
音調もいいですよ。因みに上代はタ行ウ音は『つ』ではなく標記どおりの『tu』と読んだもので、尚更聴覚も視覚と一体化します。
えっと同じ巻一の、二つあとの56にこんなのがあります。
川上の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は
春日蔵首老の上記を本歌取りと評してる記述をみつけましたが、どうなのだろ?
すばり言っていい、間違ってます。
本歌取りなんてのは技巧に走った平安期に出てきた手法で、何よりルールが違ってます。
答えは、『つらつら椿 つらつらに』ってのが当時の常套句、いわば民謡みたいに歌われていたものだってことです。
個人の意識が出てきたなんてのは19世紀も後半になってからで、それまでは歌や音楽はみんなの共有財産でした。
ねえ?一人が『つらつら椿 つらつらに』とやっていいなと思えば皆で「つらつら椿 つらつらに」とやる、『晒す手作り さらさらに』がナイスと響けば老若貴賎に拠らず全員が「晒す手作り さらさらに」と歌う…
これが万葉のこころです。
んで。
54に戻して詞書をみるにです。
「大寳元年辛丑の秋九月、太上天皇の紀伊國に幸しし時の歌」
とあります。
ここでの注目は秋の字、つまりはこの歌は目の前の春の景を詠んだ歌ではなく、回想歌、脳内の産物なんです。
回想歌?
ん?
こーゆーのが本歌取りな・の・よ、どっちかというと~
これ、房総の春夏秋冬で全部で四首あるんだ、あはっ!