アー姐さん。久しぶりにこう呼びかけますよ。貴女も是非、万葉の歌に触れて言葉の深みを楽しめるようになって下さい

オウム集団の「三女派」と聞いてどのような印象を持たれますか?

2021/11/26

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 先日ご報告した滝本弁護士との裁判では、「三女派」なるものが存在するのかどうかと、「三女派」の定義が問題となりました。

 滝本弁護士が、裁判の原因となった上申書で「オウム集団は、三女派などを含め、広く社会的にも監視されていくべきもの」「山田らの集団も(中略)三女派というべき」と三女派を監視すべきだと上申書に書いていたからです。

 わたしは、「三女派」とは、派閥などのように、わたしが指導する、あるいは関与している組織なり集団なりを意味する印象を受けると訴えました。


 この点、滝本弁護士は、「三女派」の意味について、まず


原告に同調し、あるいは原告の指揮や影響を受けているもの

 と主張していました。

 しかし、その後、その意味を大きく変遷させていきます。


三女と主義・主張を同じくする、あるいは三女を指導者として仰いでいる者の集団

 と変え、とうとう陳述書では、


「三女派」というのは、現実的に原告三女が差配しているかどうかは関係なく、原告三女の宗教的権威なり『霊性』なりを認める人たち、また広くは原告・三女の書籍や講演会などを契機に原告・三女のファンのようになり、その言うところに関心を持ち、同人に従っていきそうな予備軍を含めて指す

 と書いてきました。

 滝本弁護士が陳述書に書いていた「三女派」の定義に従うと、わたしの言動に関心を持ちファンのようになると、「三女派」の一員だということになります。

 辞書によると、「予備軍」とは「そうなる可能性のある者の集団」だそうです。「そうなるかもしれない」ということであれば、「あなたは三女派です」とされてしまいます。

「従っていきそう」であれば、実際に従わなくても「三女派」になります。

 わたしのブログを読んで下さっている皆さまも、わたしの言動に関心を持って下さっているので、三女派ということになります。

――ちょっと待って下さい。

 わたしの書籍や講演に関心を持ったら、みんな「三女派」?


 書籍を読み、「元気出して下さい」「応援しています」と励ましてくださった方も、みんな「三女派」だと、滝本弁護士は考えておられるということでしょうか。

 わたしは、滝本弁護士の主張する「三女派」という言葉の意味は、上記に述べたことと上申書の記載内容からすれば、日本語の定義を大きく外れていると感じています。  これに対し裁判所は、


「三女派」との表現は、原告がオウム真理教を事実上承継した団体の中で指導的な立場にあることまで示すものではない

 と認定し、わたし(原告)個人に対する名誉毀損は成立しない、としました。

 皆さまは、オウム集団の「三女派」という言葉に、どのような印象を持たれますか?oD_TdYKc.jpg
街路樹花壇のコスモスもそろそろ終わりで種が出来てたので、買い物に出た途中足を止め摘み取って我が家に持ち帰りました。
今蒔いちまったらダメなのかなあ?早速に、台所脇の花壇兼茶殻処理場にばら撒いたのですが。
来秋出てたらお慰み、他界したばぁばにも極上の報告ができそうです。

とまあ、上記コスモス画像、アー姐さんこと元オウム正大師の松本麗華氏のBLOGからパクりました。
姐さん、某滝本太郎の使ってる『三女派』という言葉に、相当お冠のようで。
BLOG本文も拝読しましたが齋藤杏花 (さいとうあんな)には、この三女派の意味合いがイカる程には変遷してるようには思えませんでした。
先ずは、某ツイッターで調子合わせてる『三女真理教信者』の皆さん 江 といったとこです。

で、御本尊たる松本麗華氏の言い分。
一言で総括しちまえば、短絡的なんだなあ。
『三女派』に憤る為には一体何段階論理を飛躍させなければならないのか?
別に誰も、姐さんが三女派なる派閥めいたものを作ったと言ってもなけりゃ、増してやアー姐さん自身が構成員であるとなどとはおくびにも漏らしてはいません。
旧オウム真理教信者を便宜上分類しただけの事で、更には現実の凶悪犯罪者の徒党と言ってる訳でもなんでもないのです。
監視されて不利益?聞こえません。胸に手を当ててご自分の言動をよく考えて下さい。

つーことで話を一歩前に戻すなら。
オウム残党の中には確実に三女派はありますよ。
入信した頃、後継者と伝えられてた三女アーチャリー。
ショーコー亡き後の宗教的シンボルとして三女を据えたとしても、なんらの不自然ともありません。
オウム真理教三女派セクト、言ってみればオウム原理主義、一途の多いオウム信者の中でも特に一途な人たちなんでしょう。
先に出てきてのはケロヨンってのだったな。その後公安ご昵懇の山田らの集団が出現した訳で。

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山田なんて人とは一面識もない、と。
だから、そこが短絡的なんですよ。
シンボルなんですから別に面識が必須ではない。
全世界にキリスト教信者は多数、その中でイエス・キリストと面識がある人がいるとでも?
イカる前に深呼吸して下さい。

宗教が出たついでに『指導的立場』。
そうなんですよ。貴女の一挙手一投足が『信者』にしてみれば宗教的な指導になることもありえるのです。
鰯の頭も信心から、これが宗教ですから。

『三女派の定義』と。
そもそもここがおかしい。
いやいや、大元の言葉というものの認識がです。

定義だなどと、原理原則の自然科学でもあるまいに!
いや、法(学)の世界でも定義という概念を用います。
それは、取りも直さず『語義』が多種多様であることの何よりの証拠であり、話を噛み合わせる必要性から便宜上『定義』を設けてるだけなのです。

前に何か@umi_matsumotoにも定義云々で突っかかられた事があったなあ。
オウム弁護団?法律を絶対的なものと思い込んでるバカな人たち (←元気な頃の大島監督の言) とその亜流とばっか接触してるから、こんな情緒になっちまうんですよ。
お気の毒としかいいようがありません。

もっとねえ。
言葉の深みを楽しめるように、ってことで本日の万葉投稿です。

巻八1418志貴皇子の歌は、話のついでに出しただけで、俎上にあげることはなかったのか。
先に例によって、『目指せ!! 平成の女蜀山人!』復元から先に致しましょう。

歌は心の音楽デス

2005年05月10日

思想がかったものが続きました。
エンターテイメント路線に転調します。

万葉集<八・一四一八>、志貴皇子の歌を読みましょう。

 石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも

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この歌は是非声に出して読んでください。
節なんかどうでもいい、旋律付けて歌えばなおよし

どうです?
「たるみの~ うえの~ さわらびの~」
『の』の繰り返しの、躍動感。いかにも春になったという感じが伝わってくるでしょう?
同じ助詞を繰り返す文章は駄文↑ですけど、これが歌ならリズムとなる…
似たような台詞をどっかで聞いたっけ?

かの『アマディウス』、私は映画で見ました。
「芝居なら二人三人が一度に喋ったらぶち壊し。けどこれが歌なら二重唱三重唱になる」
そして歌劇を書くようになるんでしたね。

以上、リートよりアリアが好き、オペラよりもオペレッタが好きな齋藤杏花 (さいとうあんな)当時のHNでした。

冒頭コスモスとは季節が正反対の早蕨ね。
この歌は斉藤茂吉も秀歌と褒めてます。

でもね。
現代語に訳しちまったら、こんなくだらないものはない、
滝の上の早蕨が芽吹く春になったなあ、
ってんじゃ、あんちことはありません。
犬養先生も講義で繰り返されてましたね、ここで肝心なのは音楽性なのです。
講義音声を使った動画なら、このとおり多数ありますけど、先生ご自身の出演動画は消えちまったなあ。
NHKかなんかのプロパガンダで、「のー、のー、のー、と餅を引き伸ばす~」とお話されてたのを見たことがありました。

さてまあ、ここでは言葉の持つ音楽性に触れました。
でもですよ、これは言葉の持つ効用のたった一つに過ぎない訳ですよ。
たったの31文字から無限の大宇宙が広がる詩歌の世界…

アー姐さんやその周りの人たちも是非これに触れ、今後の生活を豊かならしめることを祈ってやみません。

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