春 vs 秋 ~ 天皇の内大臣藤原朝臣に詔して、春山の万花の艶、秋山の千葉の彩を競憐はしめたまふ時、額田王の歌を以ちて判るその歌 (← 本日の万葉稿は正統派の内容で)

o0750041214888903690.jpg11月16日 よみうり寸評
2021/11/16 15:00
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 春山に咲く花の 艶えん か、秋山を染める葉々の彩りか。天智天皇の昔、その美の優劣が宮中で競われたという記載が万葉集にみえる◆長歌で判定を下したのが額田王である。春をたたえつつも、秋に軍配を上げたわけが知れる一節がある。〈秋山の 木の葉を見ては  黄葉もみつ をば 取りてそしのふ〉…万葉歌人は色づいた葉を手にとって、秋の情趣に感じ入ったらしい◆ちなみに「もみつ」とは、本来「色変わり」を意味し、黄葉だけでなく紅葉を含む。歌人がめでた彩りを想像しながら、ゆるりと進む紅葉前線を眺めている◆近年見頃を迎える時期が平年より遅れ、師走の風物と化しつつある地域が目立つ。言わずと知れた温暖化の所業だろう。地球を危機にさらしている気候変動を思う。国際会議COP26を終えた世界は、気温上昇を1・5度以下に抑える新目標を達成できるのか◆利害を超えた各国の行動を望む傍ら、脱炭素社会に向けて何ができるか考えてみる。春か秋か、季節の移ろいを慈しむ古来の習いを失いたくはない。


第一巻:0016

冬ごもり 春さり來れば 鳴かざりし 鳥も來(き)鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取り手も見ず

秋山の 木の葉を見ては 黄葉(もみち)をば 取りてそしのふ 青きをば 置きてそ歎く そこし恨めし 秋山われは
つーことで、数日前の11月16日 よみうり寸評と称される読売新聞夕刊コラムの題材になってました。
巻一16の額田王の長歌、長ったらしい詞書がついてる割には何故か反歌もないし、また(額田王とされてる)作者にも異説があるんですわ。
詞書の背景説明は割愛したところから始めましょう。

天皇の内大臣藤原朝臣に詔して、春山の万花の艶、秋山の千葉の彩を競憐はしめたまふ時、額田王の歌を以ちて判るその歌

要するに天智天皇の勅命で、春山の万花の艶 vs 秋山の千葉の彩 の公開大バトルをやらせたと言うことですわ。
で愈愈本文、レフリーを買って出た額田王は、

 冬ごもり 春さり來れば 鳴かざりし 鳥も來鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取り手も見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそしのふ 青きをば 置きてそ歎く そこし恨めし 秋山われは

僅差で後者に軍配を上げた訳です。
そう、夕刊コラムでも引いたように、このように秋が好きって人が多いですよね。
かく言う齋藤杏花 (さいとうあんな)もその一人です。
四年前の秋に、ばぁばが他界して以来、ちょっぴり嫌いになりましたが。

でもね、でも。

極々第三者的に考えてみれば、これは現代人ならでのおごりかもしれませんよ。
何故なら原始時代は、冬と言えば死のリスクに直結する季節だった、
寒さで震えるし、何より食料が乏しくなるし。
だから万物が再び芽吹きだす春の訪れが嬉しくて堪らなかったわけです。

万葉時代という古代から、春<秋 といえた恵まれた風土に生まれた事を感謝、サゲは流れに沿って、僅差で次点に甘んじた春。
シュトラウスの円舞曲・春の声をお聞き頂きましょう。