月月に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月 と月で始まった本稿、最後は桜へと。花札の20点札かいな?あはっ!

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今年もまたお彼岸明けとなった9月26日。
三回忌、七回忌があって、何で五回忌がないの?
そうなのです。亡祖母の命日にはどうしても触れざるを得ないでしょう。
先ずは記事本文とは全く関係ない記事挿絵に触れました。

お彼岸明けと同時に本日は、秋の名月の最終日、更待月ですね。今年は、ホント、よく見ました。
  月月に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月
この歌のとおりで。

さてまあ歌ってのは音楽ですから、このように繰り返し、リフレインってのが欠かせないわけですよ。
こんなのもあります。
  あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月
明恵上人の歌なら図らずも後の名月を話題にしたここでも触れてます。

月に話題から離れて、歌の音楽性の方で続けましょう。
かくいう齋藤杏花 (さいとうあんな)も一首、
  さ社に さやぐ笹の葉 さやさやと さや囁けり さやささやかに
んなのを。
いやはや、お粗末。けど国語としてぎりぎり成り立たせるためにかなり頭を絞るものですぞ。
遠い遠い昔、かの天武天皇も、

てなわけで愈々本稿本題の万葉ネタ、『目指せ!! 平成の女蜀山人!』復刻です。

このネタはもう少し早くに出すべきだったのでしょうが 

2005年06月16日


   み吉野の 耳我の嶺に 時なくぞ 雪は降りける 間無くぞ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を  (巻1-25)

   淑き人の 良しとよく見て 好しと言ひし 吉野よく見よ 良き人よく見 (巻1-27)

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昭和の名大関・初代貴乃花のニ子山親方が亡くなって。
やはり、といっていいでしょう。始まりましたねえ、若貴兄弟の確執…
まあ、なんと申しましょうか? 両雄並びたたず、これが身近な兄弟ということになれば争うのが普通、ということになってしまうのでしょうか?

と、いう事で、『壬申パワー』のご説明をするのは、この機会をおいて他に無いでしょう。
壬申の乱、日本古代史を紐解く上で絶対の絶、避けては通れない『兄弟喧嘩』ですね。
詳細については、解りやすく解説してる頁をみつけましたので、ご覧になるといいでしょう。

まあ、天智天武の兄弟も鎌足が生きている間は表立って争いもせずやっていたのですが。
その潤滑油がなくなってしまうと、お決まりのコースです。
天智天皇は弟であり皇太子である大海人皇子(天武天皇)を遠ざけ、実子である大友皇子を世継ぎとすべく画策を始めるわけですね。
そして、病床に臥すと枕元に大海人を呼び寄せ、帝位を譲るといいます。
それが罠だと察した大海人は、僧になると称して吉野に逃れるわけですが。

天智天皇の死を知るや大海人天皇は吉野を出て、大友皇子(弘文天皇、ただおそらく即位もしてなかったと思う)を打ち破る。
わずか40人で出発して1月足らずで天下を統一してしまった、まさに神業が『壬申パワー』。
万葉集繚乱時代を彩り、そしてそれは退廃の孝謙時代まで持続します。

冒頭の二つの歌は、いずれも天武天皇が吉野を詠んだものです。
苦しかった潜伏時代と壬申パワー全開時代の好対照な心底が感じられますね。


そうなのです。
ここで欲しかったのは、
  よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見つ
なんですよ。
とまあ引用したはいいですけど、件の女蜀山人記事、本稿の趣旨から全く離れた論調になってまして。
つーことで(?)サゲは更にまた別趣旨を。

今日の吉野は桜の名所として知られますが、万葉集においては花の吉野、桜の吉野は一首も出てまいりません。
すべて(別趣旨の)風光の吉野です。

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