プライベート情報大暴露!!!!! 齋藤杏花 (さいとうあんな)の中の人には長女、次男、三女の三人の子があります

コムラサキとムラサキシキブ.jpg
今日の噺は画像から入りましょうか。
コムラサキですよね。
数日前、某国営放送・首都圏ネットワークの天気予報中継で野外中継してるおばさんが言ってました。
前はこのコーナー、色んなキャスターがやってましたけど、今はこのボケナスおばさん(失礼!)専任になっちまいましたね。
テーノーミジュク大学アホー学部オセージ学科ですか。なんでそれがお天気?
ああ、体格もいいし、やっぱ体育会
運動部枠で入学し同じく運動部枠で就職…
おっと、つまらん悪口は止めにして、話を進めるならです。

件のTV中継をみて、我が庭の方々に生えてるシャリンバイと思しき白い花&紫の実の木が、実はコムラサキだったんではないかって気がしてきましてね。
そういや亡祖母がムラサキシキブって言ってたような。コムラサキ別名ムラサキシキブ。
シャリンバイだとしたら、白単色の花はヘンですしね。
けど、コムラサキなら今度は葉の形が違ってくる、いずれにせよ我が庭のは未詳の木ってことです。
このように庭と原生林の中間なのが、我が家の広いだけはだだっ広い庭なんです。

んで。
今一番盛んな花が、やっぱ依然フヨウですわ。
こっちは間違いなくフヨウ、図鑑見ても10月までは一日花を付ける、とありますもの。
夕べは、居待月 芙蓉はすでに 眠りけり、将にこのとおりの光景でした。
…と書くつもりでいたら、月まで眠ってたみたいで。
月明かりは以外に強いから多少の雲なら、と油断してたらとんだ見当違い。寝る間際にほんのちらり見たに留まりました。
今晩、居待月の次は寝待月になります。

時にですよ。
今となれば一昨日の十六夜。
見事な雨降り月だったのに、
>昨日は月夜で明るかった目が笑っている (笑顔)
などとつぶやいてる人もいますね。
ん?ほれ↓アーチャリー月夜.png↑このとおり。
出鱈目極まりないtwitterの事ですから詳細記述を一切避けて結論だけ書けば、どうやら本稿執筆時のおいては、私、その気になればオウムの姐さんと会話することが出来るようになってるみたいですね。
オウムの姐さん・松本麗華氏、所謂三女アーチャリー
段々本題に近づきつつあります。

三女ってくらいだから、この御仁の出生はショーコー&ヤソーダラ夫妻の三番目の女子です。
んなん当たり前。
けどまあ、○男○女って言い方はあんま流行んなくなってしまいましたね。
単に子とのみ称するべきであって、正式には好ましからぬ用例です。
ほら、嫡子非嫡子の。差別問題に繋がりかねないって話。
改めて調べてみれば、今になれば何でこんな不合理な事が行われてたのかとさえ思えるこれは、平成25年12月5日の民法改正で撤廃された既定で、齋藤杏花 (さいとうあんな)がガッコで習った時は相続さえも平等でなかった訳ですから、あの折の勘違いも無理からぬ事です。

それもありますけど、今や昔に比べて子の数も減ってきましたからね。
単に子という続柄だけで、そうそうは混同も起きますまい。
麻原家みたいに子沢山がむしろ珍しい事でして、はい。

そこで出てきてるのが、タイトルにしたような間違い用法。
即ち、長、次、三…を第○子という意味で使い、男女を分けて勘定しない、という法則の言い回しです。
勿論間違いにせよ、これ悪くありませんよ。
ほら、少子化で世の大半は長男長女ばっかりになっちまってるでしょう。
例えば二人きょうだいでも、兄妹なのか姉弟なのか知らぬ人には区別がつかなくなる、
この間違い用例で言うなら、
兄妹 → 長男 & 次女
姉弟 → 長女 & 次男
になりますので、区別がつかないという悩みは解消です。
将来、国語の変遷ということでこっちの言い回しもまたあり、ってことになるやもと思料します。

話は変わって、作家で胡桃沢耕史って人がいます。
この方は元々は清水正二郎の本名で官能小説書いてたんですよね。
通称シミショー、ある時狐狸庵先生こと遠藤周作氏に、
「お前、こんなことばっかやってたらダメじゃないか」
と懇々と諭され、一発奮起別人になって本格小説を書き出したとのことです。
その時に付けた筆名が、胡桃沢耕史です。

何でも、娘が胡桃沢で息子が耕史だから、こう付けたとか。
なんと…、、、
んでです。
ウチのヤドロク氏がもし小説書き出したとしたらであります。

筆名は、
   カムナラダイジorミナガワダイジ
になりますね、胡桃沢先生の法則に倣うなら。
おーっと、

プライベート情報、暴露しすぎ、あはっ!

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------------------------------【追記】----------------------------------

(2021.9.30)本文で言った『オウムの姐さん』に読ましてやりたい記事を思い出しました。
2007年『サディズムに花束を!』投稿がまだ復元してなかったので、本稿に追記します。

話せる楽しみもあれば秘める楽しみもある


本稿はまた時事報道から。
数日前であるが、人ごみの交差点でアダルトビデオ撮影をしていた業者が逮捕された。
曰く、「逮捕は覚悟の上だった」と。
心意気かくあるべし、好意的に受け止める。
なんとなれば、この種の営業は「御法度の裏街道をいく渡世」であるべき、なければ面白みがないと思料するからだ。

少し前であるが、『ビニ本』の話を聞く機会があった。
これとて、生きた歴史証言である。
掻い摘めば、昔、銭湯の前や高速道路の脇に、マジックミラーばりの自販機があり100円玉5ついれると、ビニ本と呼ばれていた禁制エロ本が出てきたらしい。
その楽しみはといえば、100円玉5つ持って(人目のない)深夜早朝の自販機に赴き、ようやくのことで入手した本のビニールをはがすまでのところにあったとのことだ。
中身は全然面白くない。そこにいたるまでのハラハラドキドキ感が楽しい…
現在のように、アダルトビデオが駅前の書店に堂々並ぶようでは、この楽しみは味わえはしないだろう、と聞かせれ、さもありなんと納得した。

このように、異性親・男きょうだいと『ビニ本』の話をフランクにする機会を持っている論者であるが、それでも彼らには絶対に話せないこともある。
ああ、異性であるからという理由からではない。異性であろうが同性であろうが、家族であろうが赤の他人であろうが、ともかく他の人間には絶対に話せないという意味だ。

人に話せないのは苦しい?
何でも話せる友達がいないのは寂しい?

とんでもない!
あべこべもいいところだ。
もしこの世に私のことを全て理解している人間などがいたら、それこそ堪ったものではない。

秘める楽しみ…
誰にも話すことが出来ない、少々背徳的な秘密を持つのは楽しいものだ。
至上の喜びといっても過言でなかろう。
"『何でも話せる友達』なるものにさえ話せないこと"をつくる…

述べてきたように、数十年前の少年は『ビニ本』なる埒もないものを使い、実現化した。
その機会を奪い去ってしまったのが近年のアダルトビデオ業者、盛んにメディアに登場し、中にはいっぱしの芸術家文化人を気取る者すらある始末…
それ故裏街道を行くべきと述べた。

もう、ここまで書けば、結論はお分かりであろう?
サディズム、マゾヒズム、フェチシズム、こんなものは、内に秘め他人には公開すべきでないと言いたいわけだ。
奇しくもいつぞやの稿で触れた鬼平犯科帳に登場した老盗・蓑火の喜之助が、大店に仕掛けた盗み仕掛けの残りを冥土へ持っていく楽しみとしたように。

おっと、論者であるか?
このプログその他に書いていることが、『秘密』ではない。
まだまだ秘め事ならある、こんなものではない。短絡的に評価されるのは迷惑だ。
第一、何より。

ネットとは秘密を書くに最も適さない場所なのである。