天平時代の遣新羅使って、天然痘のクラスターになったんですね。コロナ禍の昨今になって話題になってるようです

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どうもあんですわ。
確かに北東風に変わったというのに、気温は下がってないようですね。
果たして本当に火曜日からは平年並みの気温になるのか?疑問になってきました。

8/29日。76年前においてはソ連軍が択捉島を占領した日です。
繰り返しますが、択捉島は日本固有の領土なのです。
3/4世紀以上も経っても未だ解決に至らないどころか、時を追うごとむしろ我が国において忘れ去られていく事が空恐ろしく感じます。

徹底的に外交下手の我が国
その片鱗は万葉時代において既に在ったようで。
何度もお話してる遣新羅使のことです。
苦難、苦難の連続だったとか。
それこそ現在の流行語・クラスター、天然痘のクラスターになったなんて話も聞き及びます。
その割にはいざ着いても当時の新羅っちゃ、何せバックに唐がいるもんだから我が国などは相手にもされない、
遣新羅使人の歌は、哀愁一色です。

先週に引き続き『目指せ!! 平成の女蜀山人!』より、どとーんと2本まとめて復元します。

西行とは大違い 悲劇的ですね

2005年09月08日


玉敷ける 清き渚を 潮満てば 飽かず吾行く 還るさに見む


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昨日トップページでお話した遣新羅使人の歌をひとつとりあげましょう。
巻十五-三千七百六。

作者である遣新羅大使・阿部継麻呂は帰路、対馬で病没します。

以上、甚だ簡単ながら、の本日最終投稿を書き終えた 齋藤杏花 (さいとうあんな)・当時のHN でした。


泣き面にハチといったら酷でしょうが

2005年09月11日


月よみの 光を清み 神島の 磯廻の浦ゆ 舟出す我は


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お伝えしている遣新羅使人の歌。少々時間を戻しましょう。
巻十五.三五九九は、一月もかかって
瀬戸内海をいっている頃の歌です。

まあ、最初から不成功に終わることが分ってるこの使節。
言いましたように、当時の新羅は後ろに唐がいるもんですから、日本なんか相手にもしてないんですよね。
だから一行も行きたくなくて仕方ない、その気持ちを表すようによーく嵐に遭うんですよねえ。

ときたま観光案内で見かけるこの歌ですけど、物見遊山気分でみたら大間違いということデス。。。