異聞終戦忌 ~ 「ウヌ、マッカーサーノ野郎」ならぬ「ウヌ、ツイッターノ野郎」

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これ、今朝もさぶいよ。
昨日は、ホント、涼しいと言うよりも寒いくらいでしたよ。
確かに、日中、一番気温が高い時間帯でも20℃を行ったりきたりで到底8月半ばとは思えませんでした。
これ昔だったら、凶作に繋がってえらいことなんですよねえ。
北東風、"とーほぐ"でいうとこの"やませ"をおらほうのピンの方言じゃなんというか、とうとう聞けず仕舞いでした。
でしたって過去形。じぃじの話ですよ。
いえいえ!存命ですが、もう話もできなくなってしまって。
定めとはいえ、少々こたえるものがあります。
と同様(というもの不謹慎ですが)このまま、秋になってしまうのかな?
なにやら、そうなって欲しいような欲しくないような複雑な気分です。

さて、先ずは終戦忌特集なんですが、15日の翌日ともなると流石に三年のここでも、また一昨年のFBでもそのネタはありませんね。
そうですねえ。あの有名な可哀相なゾウの話、上野動物園の動物処分命令が1943.8.16なんですが。
回想となると、2005年まで遡らないとならないようです。

昨日の積み残し

2005年08月16日

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終戦忌 杉山に夜の ざんざ降り (森澄雄)

ま、一応夏休みですよね。しからば小学生の絵日記風の文章で。

さて、今日は新聞のスクラップをやりました。
終戦記念日の記事がありましたので、載せておきます。

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   終戦記念日 お盆と重なり慰霊色濃く

 終戦を告げる玉音放送が流れた 1945年8月15日、日本の戦後は始まった
 第2次世界大戦を戦った日本が、連合国のポツダム宣言を受け入れて無条件降伏してから、60年の時が流れた。不戦の誓いの下、平和国家を築き上げた戦後の日本は還暦を迎える。終戦記念日としての8月15日の意味を今一度振り返る。解説部.宇恵一郎

終戦■節目 終戦の象徴玉音放送
 シニカルに世を見つめ続けた作家・内田百閒は、戦争末期の生活を日記風に書きつづった「東京焼義」の中で、玉音放送を聞いた時のことをこう記した。
 「熱涙湊港として止まず。どう云ふ涙かと云ふ事を自分で考へる事が出来ない」
 「悔しさ」「驚き」「安堵」。国民それぞれに、受け止め方はさまざまだったとしても、この放送を境に戦争が終わった、と日本人は記憶にとどめた。
 日本に無条件降伏を迫るポツダム宣言の受け入れが決定され、終戦の詔書に昭和天皇が署名したのは前日の14日。大本営が全陸海軍部隊に即時戦闘停止を命じたのが16日だが、全戦線で戦火がやんだのは9月に入ってからだった。
 重光葵外相が、戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書に署名したのは9月2日だが、多くの日本人は、玉音放送が流れた8月15日こそ、「戦いが終わった日」として受け止めている。

■連合国 米英中露で違いも
 日本と戦った連合国にとって、第2次世界大戦の終結の日は、いつと認識されているのだろうか。イギリスは8月15日、米国、フランスでは降伏文書が調印された9月2日が「対日戦勝記念日」(VJデー)、ロシア(旧ソ連)、中国では、どういうわけか9月3日となっている。
 日本の敗戦で植民地支配から脱却した朝鮮半島では、8月15日を、韓国では「光復節」、北朝鮮では「祖国解放記念日」として、ともに祝日となっているC
 日本と同じ敗戦国のドイツは、無条件降伏文書が発効した(45年)5月8日が「終戦とナチズムからの解放記念日」。終戦40周年の85年のこの日、当時西独のワイツゼッカー大統領は、「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目になる」という「荒れ野の40年」演説で、戦争責任を総括した。
 日本では、終戦50周年の95年の記念日に、村山首相が「村山談話」を通して、近隣諸国に謝罪の意思を表明した。その後、日本政府はこの見解を踏襲しているが、中国、韓国、北朝鮮からは、その後も折に触れ、謝罪要求が相次いでいる。
■現状 風化進む戦争の記憶
 8月15日に行われる政府主催の追悼行事が恒例となったのは、63年に「全国戦没者追悼式」が閣議決定で制定されて以降。無宗教で天皇・皇后両陛下が参列されての式典が定着した。
 82年には、この日が「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として改めて閣議決定されている。
 偶然にも、この日が伝統的な月遅れのお盆に当たることが、日本人の「終戦」への思いを微妙に左右しているかもしれない。仏教で、先祖の霊を招いて追悼する「盂蘭盆会」は本来、旧暦の7月巧日に行われていたが、明治新政府の太陽暦採用で、東京などでは新暦の7月15日に移行した。しかし、地方では旧暦のお盆に近い8月のこの日を「月遅れのお盆」として行事を行うようになった。
 310万人といわれる先の大戦での死者の霊を迎え慰める意味も重層的に付加され、お盆は8月15日を指すことになった。
 お盆休みに家族連れで故郷に帰り、嚢に参る。終戦直後には、多くの家庭が、身内の戦没者の霊のために迎え火をたいた。故人をしのぴ、戦争にまつわるあれやこれやを思った。
 しかし、戦後60年の今、多くの国民は戦争を知らない世代となり、あの「玉音放送」に思いをはせる日本人は少数派となりつつある。終戦の前提となる戦争の記憶は風化が避けられない。

玉音放送「終戦の勅書」(抜粋)
 朕深く世界の大勢と帝国の境状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲に忠良なる爾臣民に告ぐ。朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し、其の共同宣言(ポツダム宣言)を受諾する旨、通告せしめためたり。
 敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻に無辜を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。而も尚交戦を継続せむか終に我が民族の滅亡を招来するのみならず延て人類の文明をも破却すべし。
 惟ふに今後帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず、爾臣民の衷情も朕善く之を知る。然れども朕は時運の趨く所堪へ難きを堪へ忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かむと欲す。

 「村山首相談話」(抜粋)
 わが国は遠くない過去の一時期・国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

今年の終戦日は、ホント、ざんざ降りでしたわ。
同じく今年の終戦期の前後になって「8/15を終戦とするのは我が国固有?」って記述が目立ちだしましたが、この原型はこうしてJK時代に見聞きした齋藤杏花 (さいとうあんな)でごさいました。

さてさて、ここまでは枕でここからが本文なので御座いますが、枕に比べて本文は非常に簡単でございまして。
ああ、あるはずのないtwitterの齋藤杏花 (さいとうあんな)垢の話です。

まーたまたまた、ヘンテコな旗を立てられた模様でしてね。
いえ、最初は検索に引っかからないって今までにも何度か経験したあの状態ですが、昨日になってより深刻度を増しました。
ログインした状態でしか、(自分のした)ツイートをみられないんですよ!
前ならこれ、とりあえずロック掛けて様子をみてたあの処置なんでしょうが、敵も色々とやってくるもんです。

原因は前と同じです。
ん?勿論推測ですけど、先ずはこれで正しいです。色々検証のための実験はしてますから。
ああ、小池百合子さんの悪口を少し書き過ぎたせいでしょうね。
ま、なんです。
それについてはもう言いません。所詮は77億総白痴化ツールですもの。
楽しむとすればネット大喜利として使う位が精精でしょうね。
到底実利の用は足しません。

てな訳で巡り巡って本BLOGのアクセスもジリ減になりますが、なるようにやってくつもりです。

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