八朔に明石を思う。そうそう、ドーバー海峡を泳断した者は多々あるけど、明石海峡を泳断した人は未だかつてない。これ豆な

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月が明けましたね。八朔↑でございます。
さて、短気者の齋藤杏花 (さいとうあんな)にすれば考えられないほど長きにわたって続いてる、本BLOGです。
鑑みれば、いつの頃から完全なWEB日記へと変質したきたせいなんでしょうねえ。
反面、それ故に時事ネタを噺す事が多くなり、聊か忙しなさを感じさせられてるとこでもあります。
本日は日曜日、万葉集ネタの日でもありますので、その流れを切りたいところです。
…ところですが。

が、なのでございますなのですよ。
こんなの↓↑見つけてしまったんですわん!
いやいや、これで思い出したのがいつぞやの明石の事故なんですよ。
『サディズムに花束を!』でちょうど、ふじみ野市の市営プールの死亡事故が起こった折に回想したんだな。

生物が本来持ち合わせいてる防衛本能に加え、人には叡智がある

(2006年)

本稿はまた、時事から入る。
7月末、埼玉県ふじみ野市の市営プールで痛ましい死亡事故が起こった。
先ずは、犠牲となった女児に心よりの哀悼の意を捧げるとともにご冥福をお祈りしたい。

公共施設ということで、早速に原因解明や責任所在の追及が行われている。
結構なことだ。何はさておいても、卑しくも死人が出ているのである。徹底的にされなければならない。
だが、ドロ縄ということがある。
専ら責任の追及の方向に進むのは少々話が違おう。
と前提したところで、論者がひとつ気になっている点に触れよう。

聞くところによれば、事前に外れたプールの蓋を見つけた子供が監視員の元に届けたとか。そして、件の監視員はマニュアルになかったので、処置が分からなかったとか。
それを以って、監視員を教育しておかなかった管理会社が悪い、という論説となっている報道には首をかしげた。
蓋を見ておかしいとは思わないのか? それこそ本能的にである。
何のための監視員か?
咄嗟の状況に的確に判断を下し、人命保護にあたるのが責務ではないか?
言葉の遊び的にいうのであるなら、「『マニュアルにないことは分別であたるべし』というマニュアル」を以って教育されている筈、ということになろう。
繰り返すが、責任所在のことを言っているのでもなければ、ましてや件の監視員を糾弾する趣旨ではない。
危機管理能力の欠如のことを言っているのだ。勿論彼女だけでなく、現代社会全般に関して。
本当に現代人は、自分の身を自分で守れなくなってしまった。
鳥獣すら機敏に危険を察知し的確にことにあたる。人間と言うのはそれ以下のものなのか?

少し前であるが、数年前兵庫県の明石でおきた二事故に関する報道があった。
これとて、そう。
人ごみに入れば、将棋倒しになる危険性をはらむ。砂浜は陥没することがあるのだ。
そして何より、そのリスクをゼロにする方法などない。
語弊ある言い方をするなら、分かりきったことの筈なのだが。
断じて、(責任者という一人の)悪者を作ってめでたしめでたしにすべき性質のものではない。
これでは、人間は鳥獣以下になってしまう。

人とて生物。防衛本能はあるし、何よりも他の生物にはない叡智というものを備えている。
そして、その叡智は人から人へと伝えられてきた。

本所七不思議のひとつ『おいてけ掘』をご存知か?
或いは『河童』でもいい。 
我々の先祖は近くに危険な場所があれば、このような形で近づかないようにと教え諭してきた。
怪談話を仕立て、子供たちが興味を持って聞くように工夫して。
日本人だけではない。
ペローの稿で論じた『赤頭巾』、娘たちに知らない男に近づかないよう教え諭してきたヨーロッパの母たちもそうだ。

先人のごとく、子供の頃よりちゃんと叡智を受け継いでいたとしたなら…
とまあ、大仰な書き口になってきた本稿であるが、所詮はネット人の評論だ。
その住まいたるネット空間のことにフォーカスを絞り、結論へと導こう。

叡智を受け継いでいたとしたならばである。
ネットの危険性などは、言われなくても察知するであろう。
少なくても、安っぽく『情報ゴロ』どもの餌食になどならなくても済む。
ああ、『情報ゴロ』か?
このブログ的に言うなら特に、「SMは普通のもの」などと呼びかけ、(そろそろ出会い系サイトの一形態であると気づかれ出している)会員制SNSあたりで女性を引っ掛けようとしている連中、或いは「特殊性癖の同志を集う」などと耳障りのいい宣伝文句で粗悪な素人絵等を売りつけようと目論む自覚すらない業者、と読んで頂けば結構。

今朝もまた、SMプレーが傷害事件化した事例の報道を聞いた。

例によって例の如く、作成年月は不明。
ただ、ふじみ野事故が同年7/31、そして、パクリのおっさんが件の記事をパクって、

>『おいてけ掘』ってのは、現在のJR総武線・錦糸町駅南口の丸井の所だったらしいですよ。

の注記をつけて掲載したのが、8/6ですので、丁度15年前くらいの事だとは容易に推測できます。
とまれ、お噺はここから、なんとなんと驚く無かれ、出だしから此処に至るまでが枕だったわけです。

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万葉集巻三の255に、柿本人麻呂の次のような歌があります。

天離る 鄙の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ


いつもにも増して非常に分かりやすい歌ですので注釈はいらんでしょう。
楽屋話を少々。

私ね、この歌見つけて、すっとしたんですよ。
何やら十六年以上も前からずっとつっかえてたものが、取れたような。
今度は、『目指せ!! 平成の女蜀山人!』記事の復刻。

思い込みって、

2005年05月05日


  ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島隠れ行く 船をしぞ思ふ

      『古今集』(羇旅・四〇九)よみ人知らず

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これも私のすきな歌です。
尚、この歌には注釈がついてまして、「ある人のいはく、柿本人麻呂が歌なり」。

実はです。
私、この歌は万葉集・人麻呂の歌とばかり思っていたんです。
まあ、万葉調と古今調はいわれてるほど差がない、ってことにしときますか、(「あはっ!」は自粛)。


そうなのでした。
これら2首を混同してたんですよね。
正真正銘、ホント、この稿の作成段階で気付く事となりました。

とまあこのように、齋藤杏花 (さいとうあんな)は過去に書いたものを常に見直していますので、どうぞこれからも注目して見てやって下さい。

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