なんだか、読売新聞の結城バカ子、じゃないっ!、結城和香子がバカみてえな事書いてますねえ。こんなのがいるから…

選手の勇気に敬意…編集委員 結城和香子


 延期となって、1年日本の地で待ち続けた聖火が、きょう開会式で国立競技場に 灯とも る。しかしその炎が照らし出す東京五輪は、本来の炎に映るはずだったものとは様変わりしてしまった。


 競技会場から観客は消え、人々は自宅での応援を促され、選手はスポーツ史上最も厳しい感染症対策を最優先し競技に臨む。五輪チケットが関心事だった、わずか1年半前からは想像もできない。期待していた五輪像からの落差に、大会をどう捉えたらいいのか、戸惑う人も多いだろう。

 コロナ禍は世界を変え、社会を変えた。東京五輪の「新たな日常」は、それを痛いほど突きつける。その象徴が世論の反応だ。来日した国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は17日、日本国民に「世界の選手たちを支えてほしい」と嘆願した。記者が13大会を取材した中、直前まで課題が山積し批判が続いた大会はあるが、IOC会長が開催国の国民に、スポーツの本質であり五輪の中核である選手たちへの、支持を求めた記憶はない。

 これでいいのだろうか。

 五輪とは、単なる器でも一過性のイベントでもない。世界の人々とつながる窓であり、私たちが社会をより良く変え、未来に投資し、世界に貢献するための機会なのだ。学校の国際交流から被災地での取り組みまで、8年を投じた積み重ねが無為に過ぎては、あまりに口惜しい。

 きょう、世界は東京を見つめる。200を超える国・地域と難民選手団の若者たちが、困難に直面し、それでも自分と仲間を信じ、ただ五輪という舞台を目指して集う姿を。ここまで来ただけで、すでに彼らは何かを成し遂げている。考えの違いがあってもいい。彼らの人間性と勇気、強さに深い敬意を表したい。

 敗北や挫折に満ちたスポーツは、人生の縮図のようなものだ。選手の人間性に、心に響く何かがあったなら、涙を流すのに理由はいらない。それが人に備わる共感という力だからだ。私たちが心の底で、希望を信じる力を失っていない証しだ。

 感染症拡大による延期は五輪史上初だ。コロナ禍という人類の試練にあって、世界との約束を守るため、日本が何を貫こうとしたかが歴史に残る。東京大会で問われているのは、私たちの信念なのかもしれない。

いやあ、夕べの開会式、感動的でしたねえ!
…なーんて、舞台裏を明かせばこの稿を起こしてるのは、同じ23日の昼前のことですから、開会式のことなど分かろう筈がありません。
でも、私、そっでいいと思ってますよ。
元々全くの見る気のない東京五輪の開会式でして、幸い開会式があるのは平素からTVなどつけてることのない時刻ですので、やってるかやってないかそれすらも知る事もありませんもので。
んで、噺なんですよ。

読売新聞の結城和香子ってのが何か書いてますねえ。
先ずは、のっけから全くのプライベート、楽屋話中の楽屋話なんですが。
齋藤杏花 (さいとうあんな)はあんま、結城、結城と言いたくない、悪く言われてるのを、聞きたくないんですがねえ。
いやいや、ですから中の人の個人的状況!
ヒント。この中の人はヤドロクの事を結婚後も暫く、(苗字)さん、と呼んでいましたもので…
因みに私は夫婦別姓論者ではない、と付け加えればカンペキに分かっちゃいましたね、ちゃんと噺にかかります。

公開記事『選手の勇気に敬意…編集委員 結城和香子』
一から十まで全て反対ですのでリンク貼りも致しません。紙面では一面に出てた記事にしてWEB公開記事ですので、ご興味ある方はご自分で探してみてください。
頭括的に一言で括るなら、これもコロナ禍と五輪を混同した議論なんですよ。
ようやっと分かった。
我田引水的にコロナを持ち出してるのは、反対派 (除 一部反対のための反対のために後付で持ち出してるアカ) とよりはむしろ、推進派の方なんですな、これですっきりしました。

強硬に五輪反対を言い続けるこの齋藤杏花 (さいとうあんな)が、反対を言い出したのは昨日今日の話ではありません。
遅くてもこのBLOG過去記事における実際日付からするなら、コロナのコの字もなかった頃です。
なぜなら反対理由が医療とは全く異なる理由からだから、極々一部が濡れ手に粟の大儲けをするために他の皆が踏みつけにされるイベントだからです。
ですので本稿、俎上の結城記事への反論としては、聊かかみ合わないものになる可能性が強いですが、続ける事としましょう。

結城委員は盛んに世界と書いてる、けどこの世界と言う文字は如何なる意味なのでしよう?
委員は随分とまた偏った狭い世界をみてるものです。
少なくとも私の知る世界では、五輪なんかで一山あてようなどという者はなし、よって全世界五輪関係者の如何なる人物とも微塵の関係もございません。
ですので、支えて欲しいとバッハ氏が嘆願するのは当然の事、更には3000世界において縁もゆかりもないバッハ氏の嘆願を聞かざるを得ない義理など、微塵も見つかりません。
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それに続けて、8年が無為、と。
これこそ、相場における損切りの概念を全く知らない、愚か者の言い草です。
もし仮にですよ、一等最初に緊急事態宣言がされてる時点で五輪中止を決めてたとしたら、現在の絶望的なコロナ禍はどう変化してたでしょうか?
仮定の話ですので詳述は避けますが、1年半も経った今、過去最悪を更新しそうな勢いではなかったであろう事は容易に推量できます。

結城記事はそれに続けて愈々本題であるアスリート達に視点を移してますが、この人たちって如何なる偉い人たちなのでしょう?
別に駆けっこが早いの、力が強いの、なんのってのは、大した話ではありません。
その俊足や怪力を生かして生産的な事をしてこそ、世のため人のためでしょうよ。
丁度いい例があります。
ウガンダのジュリアス・セチトレコ選手。
日本で仕事を探すために脱走したとか。
そんなさもしい事してないでさあ、重量挙げ選手のその体力を祖国の大地にぶつけて耕したら如何?
高々オリンピックの表彰台に上がるよっかは、そのほうがどれだけ感動的なことか。

ここで、記事にはないものの、感動を与えるの、勇気を貰うの世界です。
それ言ってるのは社説の方か、まあいい、いずれにせよそんなものは各人の心の中に自ずと沸いてくるので、呉れたり貰ったりする性質のものではありません。
もし、与えられたとするならそれこそ洗脳、五輪真理教と揶揄するに相応しいでしょうよ。

ちょうどいい、宗教がでたとこで元に戻しやすくなった。
肉体の限界に挑戦するのが偉い、感動的だというなら、オウムの温熱修行も同じです。
兎も角、大凡生産的な事をやってない五輪アスリート達に、齋藤杏花 (さいとうあんな)は何らの共感も覚えません。

この論者の結城和香子ってのは紙上で時々目にしますが、ホント、これダメですね。
日本をダメにしたA級戦犯に彼女にとっては大先輩の大谷昭宏がいますが、この結城も負けず劣らずの亡国奴です。
とまあ、嘆いてみたとこで、大勢には全く影響なく、欺瞞と虚構の大イベントは粛々と進む事になるでしょう。
そして、TVは「感動をありがとう」の連呼も下、何度も何度も同じ画像を流し刷り込んでいく事は必至です。
いや現在においては全盛のSNSの方をより問題にせねばならぬでしょう。
記事を公開しようとツイッターを覗いて見るに、既に五輪に否定的なトピックはなし、
見もしなかった開会式に関するとてつもなく憂慮すべき情報すらも見え隠れしてますが、この件にまで膨らませるのは自重しましょう。

この欺瞞と虚構、子供にだけは知らせなくない、
いずれ知る事になろうとあえて今、

と、過日は書きましたが…
おそらく長子は既に気付いてることでしょうね。
何せ私の娘ですから。
そうそう。考えてみればです。

ヤツってもう、かつて私がオウムに填まってた時と、同じ年になってるんだわ、あはっ!

2021-07-24 06:14:49