軍神タケミカズチの祭られる鹿島の宮に学徒動員が掛かる! 『霰降り 鹿島の神を 祈りつつ  皇御軍に 我れは来にしを』今日のこの東歌を未だちゃんとはお噺してなかったようで、怪我の功名のようでした

2021-07-11 06:36:41
おらほう昨日は、あっちかったスよ。
あんか急に暑くなって、試運転のつもりでつけた冷房が、冷房嫌いの私ですらそのまま消せなくなってしまった午後でした。
夜中も熱が家の中に残ってて何度も目が覚めて。
到底さわやかとはいえない気分で起きてみればお馴染みの雨降りもなし、梅雨は終っちまったんでしょうかね?
みの一つだになし、ヤマブキの花の狂い咲きを一輪見つけました。
おっと、噺行きます。

先ずは、一昨日の噺の続きです。
諸悪の根源・2020東京五輪の首都圏会場における無観客開催が決まったと言え、どこぞの日本共産党の如くはしゃぐなかれ、人間万事、塞翁が馬、
で結んだ訳でしたね。
その後色々見るに、事態は思った以上によくない、この齋藤杏花 (さいとうあんな)ですらも、未だ見通しが甘かったのではと感じ出してるとこです。
そうだ、初っ端からでなんですが、拾った画像をば少々↓
E5sV65yVkAIHXqm.jpgE5sV4VrVcAEElaP.jpgE50vBD-UcAIspmy.jpg
↑。
(触れるべき)大きな話は、パラリンピックに関しては何も決まった訳ではないのです。
事実おらほうは、未だ学徒動員で取られそうな状況ですし…

話は一段、多くの人たちが気付いてるという意味で一段落ちるのが、隣県茨城のオリンピック会場なのです。
鹿島スタジアムにおけるサッカーの試合は、学校観戦プログラムの観客を入れて行う…
そうでした。無観客となったのは一都三県、知能指数0.01の溶解怪獣・ドロックスの生息する茨城は対象外でした。

学徒動員、正しくは学校感染、じゃないよ!観戦プログラム。
私は、これだけはどうにも許せません。
思想などの判断の付かない子供を無理やりおだてて、五輪などと言うイベントの為に駆り立てようってんですから言語道断もいいとこです。
そう。同じ防人の歌で言うなら、戦争以前の代表作である巻二十4373、先に出しちまいましょうか。

今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つわれは

この歌を丸暗記させて、そのとおりに炎天下に勤労奉仕させようってんですから。
そうねえ、赤十字の募金。
おらほうの駅で、子供たちがやってるのに出くわす事もあります。
そういうときは、私、大遠回りして顔を合せないようにしてるんです。
引率の大人の胸倉掴んでやりたいのを理性で抑えられる自信がありませんので。

…暴走致しました。
言いたかったのは
イデオロギーの判断も付かないような子供たちに、いい事だ美しい事だと、大人でも反対するのが難しいような玉虫色の思想を押し付けるのは言語道断、オリンピック観戦などその最たるもの、
で御座います。

本題戻しましょう。
先ずはタイトルに東歌って書いた件です。
言うまでもなく、万葉集全20巻の分類で東歌になってるという意味で言いました。
だって…
万葉巻二十4269-4370は、前にここでチラリ触れてますね。
今日はチラリでなく往時の『目指せ!! 平成の女蜀山人!』屈指の熱稿を全編復元します。
タイトル部に元となった犬養先生の万葉に人々・防人の歌の回をリンクで貼りますので、クリックしてご視聴ください。

犬養博士の講義を聞き返しましたゾ

2005年06月04日

本日は一発目から重いネタを。
ってことで、数日前の新聞で「防人」に関する興味深い記事がありましたのでご紹介します。


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佐賀・中原(なかばる)遺跡 木簡に防人を示す文字

 佐賀県唐津市の中原遺跡で出土した奈良時代後期(8世紀後半)の木簡に、当時辺地で国防の任に当たった防人を示す「戌(人=じん)」の文字が記されていた、と同県教委が30日、発表した。
「戌人」は「日本書紀」や「続日本紀」に記述があるが、考古資料としての確認は初めて。
木簡は2000年に出土したもので、長さ約27cm幅3・5cm厚さ3㎜。
赤外線で解析した結果、「甲斐國□戌□」と書かれていた。
「戌」の下の文字は「人」と推測されるという。甲斐国は現在の山梨県。
県教委は、この資料から①東国からの防人が任地でも出身国単位で把握されていた②唐津にあった役所が防人の配備にかかわっていた③防人は8世紀後半に、東国出身者から西日本出身者に交代したとされていたが、東国出身者の中には土着化して、引き続き任務に当たっていたものがいた-などが推定されるとしている。


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さてさて、少し「防人」について記しておけば。
7世紀日本は朝鮮半島における支配地を失い、逆に攻め込まれることに備えなければならなくったんですよね。
壱岐対馬に配置された当時の辺境警備兵が防人です。

万葉集20巻にある防人歌は全て、8世紀 東国出身者から西日本出身者にチェンジしたときのものというのが従来説ですが、この発見によりこれが動くかどうか興味が持たれます。
前置きが長くなりました。常陸防人の歌をいきましょう。


  霧降り 鹿島の神を 祈りつつ 皇御軍(すめらみくさ) われは来にしを


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えーっと。年配の方にはおなじみの歌とか。
戦争中にスローガン的使われかたをしたそうですね。

霧降りは鹿島の枕詞、鹿島の神はタケミカズチということで軍神ですか。
なるほど、「お国のため」路線の典型例ですね。
作者は那賀郡の大舎人部千文とあります。
那賀郡とは茨城県那珂郡、水戸市の周辺のことです。

さて、この大舎人部千文、実は初登場ではないのです。
前にも、この人の歌は取り上げました。

 筑波峯の さ百合(ゆる)の花の 夜床(ゆとこ)にも 愛(かな)しけ妹ぞ 晝も愛しけ

これがそれです。
なんとなんと。この二首はセットで収録されてるんですよ。
ええ、右の二首、那賀郡の上丁大舎人部千文(防人歌、巻二十-四二六九、四三七〇)と記されてますから。

まあ、防人の歌で「皇御軍に」的なものは、全体の一割程度で、あとは家族等々への愛情を歌ったものです。
千文にしても、「晝も愛しけ」と愛妻への思いを素直に歌った後だから、「皇御軍に」という気持ちになれたのではないでしょうか?
うーん、人間歌謡・万葉集!

と、ここまでは犬養先生の受け売り。
以下、少しオリジナルを加えましょう。

7-8世紀において、今の茨城県から佐賀、果ては長崎県の諸島部まで出向くのは大変なことだったと思いますよ。
今で言えば、スペースシャトルで宇宙空間に飛び立つのにも匹敵するくらいの大事だったと思います。
それを命ずることの出来た当時の大和朝廷の力にも驚愕させられます。

律令国家、天皇を仏に見立てた仏教による宗教統治国家、といういいかたでいいのでしょうか?
かの有名な手塚漫画『火の鳥』のどこかにも出てましたよね。
やはり、人を支配するためには宗教の力を借りるのが一番、否、宗教が不可欠といっても過言でない、そのように思われます。

以上、ソノラマ版『火の鳥』全巻を占有するも、所有権はあらずにより処分不能の 齋藤杏花 (さいとうあんな)当時のHN の久々オールマジの投稿でした。


そういや、佐賀県にも鹿島があるんですよねえ。
どっちが本家本元かってやってた事を思い出しました。

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