犬養節でお馴染みのこの千曲乙女の純情の歌、昔から色々書いてました。本文をご覧頂けば瞭然なよう、ホント、色々。このBLOGでは初めてなのが意外です

2021-07-04 06:59:16


信濃なる 千曲の川の さざれ石も 君し踏みてば 玉と拾はむ

(万・巻十四3400)


ホント、よく降ることで。
先ずは豪雨被害に遭われた方、お見舞い申し上げます。
幸いウチは車禍には弱いものの水害には非常に強い地形でして。
これ幸いと篭ってれば、食材は底を付くわ洗濯物は貯まるわで、そろそろ実害も出てきました。
そんな7月4日は、某米国の独立記念日ですね。
本稿はそれとはまったく関係なく、恒例に従い純国産ネタでお噺します。

あまりにも有名な東歌。
右コラムにも載せた、犬養先生の万葉の人々では東歌の回ではなく序盤の霊魂の回に登場します。
戦死した息子さんが飛び立った場所を訪れた老夫婦の話で解説されます。

で解説はといえば。
信濃なる と先ず舞台を映し、千曲の 川の と流れるようなリズムでフォーカスを絞り、さざれ石も 、
何の変哲もない只の石ころにスポットを当てる。
そのただ石ころであっても、愛しいあなたが踏んだのであればダイヤモンドだわ!
と、乙女が拾って胸に掻き抱く…
いいですねえ、叙情映画を観てるようです。

てなニュアンスが、犬養節でして。
そのとりことなった齋藤杏花 (さいとうあんな)は、しばしばこの千曲乙女の~を投稿にしてます。
先ずは『目指せ!! 平成の女蜀山人!』から。

これがフェチとな?!?

2005年04月30日


万葉人の持っていた『魂』の概念は現代人も受け継いでます。
例えば握手、例えばサイン。
相手の『魂』がつくからですよね。

甲子園球児がグラウンドの土を拾っていくのもそうですし、不幸な事故に遭われてご遺体すら見つからなかった方のご遺族が現場近くの小石ひとつを拾っていくのもそう。
色々と思い当たるでしょう?

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かの有名な東歌、『千曲乙女の純情の歌』と犬養節が聞こえて来そうです。

いやいや、なんでここに持ってきたか云えば、この歌をフェチシズムの典型例としてあげている突拍子もない論評があったもので。
この項をお読み頂けばとんでもない間違いだと納得頂けるでしょう。

ひとつだけ突っ込むなら、♀にはこの手のフェチシズムはありません。
大雑把に括れば、フェチは♂特有のものと言ってしまってもいいくらい。
おいおい触れていきます。


いや、お恥ずかしい。
何やら怪しげな事書いてますねえ。

弁解するなら、チト訳がありまして、怪しげなエロ雑誌に「君し踏みてば玉と ~ 万・巻十四3400はフェチの典型」などという怪しげな寄稿を見つけ、頭にこびり付いていたところだったので。
言うまでもなく明らかに違います。
明らかに違う、けど、明らかに違う事が説明できますかねえ?
うーん…
その後、こう逃げました。

猿が人間に進化したわけではない。共通の祖先から、猿と人間が誕生した。
これと同じく、古代人の持っていた魂の概念という共通の祖先から、現代人の持つ魂の概念とフェチシズムという似て非なるものが生まれ出でた、


『サディズムに花束を!』で触れたのは、上記ではなく似ても似付かぬ別の稿でしたわ。
一昨年のFBでは、2019/08/17 15:48にそれをも含んだとこで一稿あげてます。

割と有名な東歌から入るとしましょう。



こうしてFBで投稿を重ねるのにあわせて、過去にWEBに上げたものを整理しているうちに、二番目に手がけたサイトの投稿が纏まった形で出てきました。
さっきもひとつ復元しましたか。
既にどこかで、アーチャリーをテーマに書いた稿は復元した覚えがあるから、これが3軒目になりますか。
最初のサイトとの繋ぎともなる力作です。

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アドルフ・ヒットラー - もっとも有名な便器願望者
   (2006年)

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かのヒットラーが便器願望者であったことは名高い。
単にマゾヒストと書かれている記述が大多数であるが他の記録を照らし合わせるに、女性の排泄物を飲み食いしたいと願う『豚マゾ』と呼ばれるタイプのそれであったことは間違いないであろう。

排泄物に対するフェチシズムと便器願望とは同一のものであろうか?
平中・平貞文の稿で論じたとおり、若干の温度差があると思料する。
一番の根底部分である排泄物自体に対する興味、これを比較すれば両者の差異は瞭然であろう。

便器願望者は排泄物に対して興味がある必要はない。
汚くて臭いウンコ、それを嫌う正常な心理態度であっても構わないのである。
いや、むしろそうでなければならないはずだ。
それを飲み食いさせられる苦痛と屈辱感に昂ぶるからこそマゾヒストなのではないか?

プレーSMにおいては、大便のことを黄金と称する。
この手の老舗ビデオの主催はこう解説する。

「敬愛する女王様の体内から出るものである以上、ウンコであってはならない。『黄金』なのだ」

異議あり。
大胆に論じよう。この前提における便器男の心理態度は特異とは決め付けがたい。
あばたもえくぼは正常な心理態度だ。
今少し論じようか。

先ず、マゾヒズム性。
あるように見えてその実、皆無であろう。便器人間は屈辱感を感じてないのだから。
かかる状況を見て我と我が身に置き換え昂ぶる、見手の心理態度がマゾヒズムなのである。

では、排泄物のフェチシズムか?
これは少々迷うところだが、論者はNOに軍配をあげる。
理由は『敬愛する女王様』のもの限定であるという点だ。
フェチシズムと断ずる以上は、本来の性愛対象からある程度は切り離されてなければならないはず。
あまりにも本来の性愛対象の影が大きすぎる。

有名な東歌

    信濃なる 千曲の川の さざれ石も 君し踏みてば 玉と拾はむ

この(正常な)心理態度といかばかりの差異があろうか?
やはり便器願望者というのは、ヒットラーの如く、"汚くて臭い"大小便を否応なしに飲み食いさせられることを願う人物であると考察する。

話は替わるが、論者はそそっかし屋の部類だ。
和式便所で用を足して立ち上がる際に蹴躓き、便溜りに左足を踏み入れてしまったことがある。スリッパが脱げてしまった状態で…
自分が出したばかりのものをモロに踏んでしまったわけだ、お恥ずかしい話。
あの時足の裏に感じたなんとも形容しがたい気持ちの悪さたるや、今でも忘れられない。
あんなものを食べたい、食べさせられたいと願う人がいるとは!

既報のとおり、論者も時折「貴女の排泄物をいただきたい」と声をかけられる。
まあ、どこまで本気であるのかは知り得ないのであるが、もし心底そう願ってるのならば…

人間の性愛心理とはなんと不可思議なものであるかと驚かされる。