続『久々に百合子THEファシストの悪口です ~ どこぞの竹中平蔵さん。小池百合子東京都知事のアレみたいなののことを越権行為っていうんですよ』 ~ 内容的にはちっとも続編じゃないけどね、あはっ!

[令和問答]災害から学ぶ…歴史学者 奈良岡聰智 × 地質学者 鎌田浩毅
2021/06/08 05:00
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 2030年代の日本は、コロナ禍をはるかに上回る危機に直面する――。地質学者の鎌田浩毅さん(65)は、南海トラフ巨大地震の発生などを見据え、そう警鐘を鳴らします。一方で、日本人はあまたの災害を生き抜いてきたとも言います。今回の「令和問答」では、歴史学者の奈良岡聰智さん(45)とともに、災害の歴史から何を学び、未来をどう展望すればいいのかを語ってもらいました。

大地震 社会をリセット…鎌田
迫り来る大災害の連鎖
かまた・ひろき 1955年、東京都生まれ。京大特任教授、同名誉教授。著書に『地球の歴史』(上・中・下)など
 鎌田 2030年代には南海トラフ巨大地震が起き、その後に富士山が噴火する可能性が高いと考えています。首都直下地震もあり得、1000年に1回の巨大地震と100年に1回の大地震が重なり、日本が生き延びられるかどうかの瀬戸際になりかねません。


 奈良岡 西日本のリスクも高いのですね。青森県出身の私は、東京で大地震が起きると思っていたから関西への進学を考えたのですが……。

 鎌田 それで、東大に行かずに京大へ?

 奈良岡 ええ。浪人も京都でした。ただ、その時に阪神・淡路大震災も経験し、お話をうかがった今も、日本に安全な場所はないと実感します。

 鎌田 歴史を振り返れば東日本も縄文期から栄えていたのに、平安期に貞観地震や富士山の噴火などが相次ぎ、壊滅しました。

 奈良岡 日本の歴史が西日本中心に進んできたのは、大地の変動に根ざしていたからなのですね。

 鎌田 そんなことは知るよしもなく、徳川家康は、江戸に首都を作ってしまった。

 奈良岡 そういったマクロな歴史観を持つべきですね。そして江戸・東京に投資し続けてきた意味を、検証しないといけない。

ラッキーだった成長期
 鎌田 大地が動く時代は、社会が動く時代でもあります。幕末期には安政南海地震や安政江戸地震が起き、終戦前後には昭和東南海地震や昭和南海地震が起きた。大地の変動に合わせ、社会もリセットされたのです。

 奈良岡 幕末期の災害やコレラの大流行は、中央集権国家としてまとまる契機になったと思います。重要なのは、明治の近代化が巨大な災害に見舞われなかったから実現できたという事実。逆に関東大震災では経済が深く傷つき、人々を大陸進出に駆り立てる契機になったと思います。

 鎌田 関東大震災がなければ、日本の運命は変わっていたと思いますか。

 奈良岡 日本経済がもう少し持ちこたえただろうという感覚はありますね。

 鎌田 すると、一直線に戦争には突き進まなかった?

 奈良岡 かもしれません。

 鎌田 実は、戦後の高度成長期も、地震の静穏期とぴったり重なっている。本当にラッキーだったことを、日本人は分かっていませんね。

 奈良岡 日本人の勤勉さや企業努力が要因だったとなりがちですが、幸運が重なった上での成功だと謙虚になり、自然的条件や地理的条件を見直すべきです。

 鎌田 そもそも、勤勉で通用するのは大地が静かな時だけ。阪神・淡路大震災後、地震の静穏期は終わったのだから、高度成長の成功体験を捨て体制を変えていかないと。

危機の記録 保存が必要…奈良岡
災害が残したもの
ならおか・そうち 1975年、青森県生まれ。京大教授。著書に『対華二十一ヵ条要求とは何だったのか』など
 鎌田 本当は自然災害は悪いだけではないのです。噴火が平坦へいたんな大地を作り、豊かな恵みを長期間与えてくれる。比べて災害期は短い。「長い恵みと短い災害」という自然の摂理です。だから日本には、水害での流失を前提に簡素な橋をかけるといった「流れ橋の思想」があります。災厄に真っ正面から立ち向かわない災害観、死生観なのですね。

 奈良岡 同感です。100年前のスペイン風邪では、日本の全人口の1%近くが亡くなったのに、社会はそこまで混乱しなかった。スペイン風邪から回復した作家の永井荷風は、「ありてかひなき命を取り留めたり(死んで当然なのに生き残った)」と日記に書きました。

 鎌田 僕も荷風は大好き。災厄をやり過ごす考え方は、戦後まで残っていたと思います。ただ今後は被害を大幅に軽減するため、インフラ整備や教育などできちんと準備することが重要。他方で日本人は、地域で助け合う自助の精神も強い。流れ橋の思想と組み合わせた柔軟な思考が、結局は日本を救うと思います。

何が大切なのか
 鎌田 揺れる大地に何万年も暮らしてきても、日本人は絶滅していません。だから今後も楽観しています。最終的には若者が、社会をリセットしてくれるはずですから。

 奈良岡 私は少し悲観的です。たしかに幕末・明治期は若いリーダーが現れ、未経験者も次々に登用され、思い切った政策が実行されました。戦後も同様に活気があった。ただ今後、若者が変革を起こすでしょうか。投票率も低く、諦めているようにも見える。

 鎌田 ああ、たしかに。過去の成功体験にぶら下がっているようでもあります。

 奈良岡 危機に対処するには記録を残して公開、検証することも必要です。日本はそれができていないから、政策面での継承が乏しく、人々の記憶からも消えてしまう。関東大震災の研究が盛んになったのは、阪神・淡路大震災以降。歴史家としても反省しなければなりません。コロナ禍の今も、公文書の記録や保存ができているとは思えない。

 鎌田 まさに「過去は未来を解く鍵」ですからね。地質学者も、地質や古文書にある地震や噴火の記録から未来を予測します。そして「長尺の目」で見ることが大切です。例えば地球温暖化ですが、20世紀後半以降、噴火が非常に少なかったことが一つの要因なのはご存じでしょうか。18~19世紀のように21世紀に大噴火が頻発すれば、火山灰が太陽光を遮り、温暖化どころか寒冷化する可能性がある。そんな発想も必要です。

記者から

 現在の日本の政治状況についても話は及んだ。各党の危機管理能力は心もとなく、政治を変える人々のパワーも弱いという。本当に追い詰められなければ、変われないのかもしれないのではないかという話が印象に残った。両氏は、個人的にも地震や災害に備えているそう。対談を胸にとどめておかなければと思う。(文化部 小林佑基)

 ◎対談はオンラインで行われました。

[ああ言えばこう聞く]江戸に学ぶSDGs 竹村公太郎さん
2021/06/08
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 ◇編集委員 鵜飼哲夫の「ああ言えばこう聞く」  

 ◎日本水フォーラム代表理事

 ◆日本のうつくしは「小」 × 必要なのは膨張ではなく縮小 

 元国土交通省河川局長で、日本水フォーラムの竹村公太郎代表理事(75)は、地形と気象から歴史を読み解くユニークな史観で知られる。新作『広重の浮世絵と地形で読み解く 江戸の秘密』(集英社)を出した竹村さんに、江戸の発展と衰退から学ぶべきことを聞いた。

 ■森林に注目

 1590年、豊臣秀吉によって徳川家康が転封を命ぜられた江戸は、江戸湾(現東京湾)に流れ込んでいた利根川などの氾濫で、ヨシ原が広がる湿地帯。雨になれば水浸しになる不毛の地だった。それは鶴の飛来が前景に描かれた歌川広重『名所江戸百景』の「箕輪金杉三河しま」を見ればわかる、と言う。

 竹村 長年、水害と格闘した土木屋なので、丹頂(たんちょう)鶴を見てピンときました。ドジョウ、小魚、カエルなど鶴の餌は、湿地帯に生息する。つまり三河島はズブズブの湿地で、これが江戸の原風景です。

 ——三河島は内陸なのに、地名に「島」がある……。

 竹村 隅田川東岸の向島と同じ。砂州に島のように浮かぶ場所を意味する地名です。

 ——関ヶ原の戦い後、家康は、なぜ、京から離れた不毛な地に幕府を開いたのか?

 竹村 当時は燃料も建材も木材でしたが、京に近い西日本は乱開発で禿山(はげやま)状態だったとされる。対して、開発の遅れた関東には武蔵野台地の森林地帯があった。このエネルギーの宝庫に家康は目をつけた——それが私の仮説です。

 ——とはいえ氾濫続きでは米はとれず、人は住めない。

 竹村 家康のすごいところはその地に用水を引き、飲み水を確保すると同時に、利根川の水を東の千葉県・銚子に流れ込むように変える大事業を始めた。この河川改修で関東平野は肥沃(ひよく)な乾田が増え、米の生産量は増大。それまでは1000万人台だった日本の人口は、江戸時代に3000万人台へと急増します。

 ■河川改修 

 ——先日、利根川東遷の現場、千葉県・関宿に行きました。利根川と江戸川が分岐するあの地は見渡す限りの河川敷。よくぞあの広大な地形を変えると決断しましたね。

 竹村 土地の凹凸と水の流れというシンプルな要素に着目すると本質が見えてくる。関宿は微高地で、河川改修に適した場所です。

 信玄堤の武田信玄、防御性の高い湿地帯に囲まれた安土山に天主を築き、琵琶湖水運を活用した織田信長、高松城を水攻めした秀吉……。あの時代の武将は、日本の地形と水脈を味方につけ、権力を伸ばした。彼らからバトンを受けた家康は史上最大の国土プランナーだったと思います。

 ——まさに「水を制する者は天下を制す」ですね。しかも、江戸の町は、屎尿(しにょう)を回収し、農作物の肥料とした循環型社会でもありました。

 竹村 馬の大きなお尻が眼前に見える広重の「四ツ谷内藤新宿」はその記録写真とも言える。馬の足元にいくつも落ちている塊、あれ、馬糞(ばふん)ですよ。藁(わら)や草を主食とした馬の糞は、乾かすとよく燃えるので、集めて燃料にする業者もいたのが江戸です。

 ■背景に地形 

 ——国連が掲げるSDGs(持続可能な開発目標)への意識が高まる中、江戸には学ぶことが多いですね。

 竹村 省エネ志向の日本人のアイデンティティーを作ったのも日本の地形と考えています。広重「東海道五拾三次」の「日本橋」を見てください。足軽が荷を負って歩いていますね。急峻(きゅうしゅん)な山と湿地が多く、車文化が未発達だった日本では古来、旅は歩きで、荷物を「小さく、軽く」まとめるのが旅支度の基本。そこで中国渡来の団扇(うちわ)を折りたためるようにした扇子をはじめ、日本人は細工物が得意になったのではないか。

 その国民性ゆえ、細工が下手だと「不細工」と罵(ののし)られ、うまく物を詰め込めないと「詰まらない奴(やつ)」と言われる(笑)。電卓やウォークマンを開発した日本人の「縮み志向」の背景には地形がある。

 ——大胆な仮説ですね。

 竹村 持続可能な社会に必要なのは膨張ではなく縮小。国土の広大な中国の漢字「美」は「羊」に「大」と書きますが、「かわいい」という日本文化を見直すべきです。

 ——『枕草子』に「小さきものはみなうつくし」。日本のうつくしは「小」ですね。

 ただ、江戸時代は、鎖国で情報も人の移動も制約され、産業革命に乗り遅れたというマイナスの評価も強いです。

 竹村 確かに江戸後期は産児制限も行われ、人口停滞の最悪な時代を迎えます。人口急増で国中が森林伐採され、エネルギーがなくなった後遺症です。江戸後期に広重が描いた東海道の風景を見ると、禿山ばかりが目立ちます。

 禿山になると雨で山が崩れ、水害が増え、飢饉(ききん)にもつながる。幕末はエネルギーが限界値になり、日本は倒れる寸前だった。それを救ったのが黒船と、僕は見ています。

 ——幕府が倒れたのに、「救った」と言えますか?

 竹村 蒸気船である黒船の襲来は、石炭という新エネルギーの存在を日本人に知らせた点で“神風”です。国内には夕張をはじめ磐城、筑豊などに石炭があり、遅ればせながら近代化に成功しました。

 ——つまり、禿山の下に宝があった。

 竹村 ただ、物事には功罪があり、日本はその後、石油など資源を求めて戦線を拡大、泥沼の戦に敗れた。エネルギーは文明の盛衰に直結する。

 ■水と技術 

 ——歴史に学ぶことは?

 竹村 いくら江戸のようなエコ社会でも、都市が巨大化するとエネルギーの循環する社会は維持できない。しかも、今回のパンデミックは「密」の問題を突きつけた。東京一極集中を見直すべきです。幸い、日本は水資源は豊富で、江戸時代に各藩によって全国に築かれた堤防もある。全国の1級河川を中心とした流域ごとに、きれいな水と精密な技術を生かした持続可能な産業を発展させたらよい。

 ——政治の「治」は治水の「治」。水との向き合い方は政治の要諦と思えてきます。

 ただ津波にしても水を治めるのは至難の業です。地表では利根川は、銚子方面へと流れを変えたけれど、地下水は依然として東京湾に流れ込んでいる事実を新作で知り、「えっ!」と仰天しました。

 竹村 その地下水が、高度成長期に公害で汚された東京湾を奇跡的に浄化し、江戸前の寿司(すし)を再びおいしく食べられるようにした。

 家康以来、人間が変えたのは地表の上っ面だけとも言える。社会が変わっても容易に変えられない国土の本質、地形と水脈から学ぶべきことはまだまだ多いです。

 

 ◇たけむら・こうたろう 1945年神奈川県生まれ。東北大学土木工学科修士課程修了。河川、水資源、環境問題に従事。著書に『日本史の謎は「地形」で解ける』、『“地形と気象”で解く! 日本の都市誕生の謎』など多数。

  

 ◎竹村公太郎さんの色紙を読売IDをお持ちの方にプレゼントします。応募は読売新聞オンラインの「よみぽランド」から。

 

 ◎題字/イラスト 樋口たつ乃  写真 園田寛志郎  

 
6/10は時の記念日、と同時に、我が家にとってのひとつのブラック記念日になります。
亡祖母が救急車搬送された日、そして何度かお話してる様とうとう生きて2度と戻ることはありませんでした。
あれから4年になるんですね。
今年もまたレンギョウが咲き乱れ郵便受を隠してしまい、新聞が取りにくくなってきました。
切ん殴ってやんないといけないのですが、ばぁばが今生の最後で見たであろう我が家の光景と思えば中々鋏を振るえません。

おっと、こんな湿っぽい話はもうしないのでしたね。
さあ、今日の御題行きましょう。

坂東・東京の話なんですよ。
今となればおとといになりますが、8日の朝刊と夕刊でそれぞれ、家康の江戸入府を正反対の評価で書いてる特集記事がありました。
どちらもWEBでは非公開となり、リンク貼ってもすべての方にはお読み頂けないのですが、



…まあ、おっさんの写真を挿絵にしてもしょうもないですから、見づらい文字列のみの提示となりますが、上が朝刊の否定的受け止め方、下が夕刊の肯定的受け止め方です。
おもしろいですね。同じ学者、それも地質学という共通方向からの分析でも、災害研究と河川工学の立場が違えば真逆の結論になるのですから。
で、齋藤杏花 (さいとうあんな)とすればです。
やっぱ近くの利根川の話があったので、後者に軍配を上げたいですね。
地上の流れを変えても、地下水脈は依然江戸(東京)湾に注いでたという記述が新鮮でしたし。
よって、夕刊記事のスクラップを掲げておきます。
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思えば、江戸、東京に限らず広く東国というのは、常に水との戦いなんですよね。
今となれば一昨年のお正月か。
正月ドラマで視てから随分と凝って、件原作『江戸を建てる』を皮切りに、色んな小説を読みました。

あ、漫画も。
逆転大奥でも♀田沼の逸話辺りで河川土木に触れられてましたよね。
印旛沼が出てくるとなっては、是可否にも触れておかねばなりませんよ、あはっ!

2021-06-10 05:54:09