多摩川調布がいきなり湯河原温泉に飛んだり、また時間的にも千数百年の段差があったり… 突拍子もない投稿にはなりますが決して気が狂ったのではありませんよ、これでもれっきとした万葉解説です

2021-05-30 06:08:23
そろそろ大雨の季節、ってことでいきなり冒頭。
これいつ使ったんだ?多摩川かなんかの計測点ですね。

多分この記事に続けてなんでしょうが、本日の万葉カテゴリ復刻、『目指せ!! 平成の女蜀山人!』→2019年FB掲載 を元ネタとする事以外の詳細は不明となってしまいました。
以下、文章に違和感があるやもしれませんが、どうぞその旨お含みの上でご覧下さい。

先ずは、これ、もう一つの『前段』泥縄的に復元しました。
で、です。と言っても前行青でなく冒頭の赤の反転リンクの最後の方(の湾曲表現。この『 にほんブログ村』っちゃまだやってんのかしらねえ?)なのですが、村長さんというハンドルを使う主催の方がいくつか、「この言葉が似合わないのです」とあげてらしたでしょう?
うん、目指せ!! 平成の女蜀山人! 的にお話すべきは、ここでしょうね。
私の見解はといえば…
一言で言うなら、NGワードとして列挙された言葉は千差万別。
成る程忌み言葉として一般に定着してるものもあれば、果たしてと首を傾げるものもあり…
ここで展開したいと思うのは「晒す」なんですよ。
なんでまた~? っな感じでして、はい。
ですから、卷十四-三三五一「筑波嶺に 雪かも降らる 否をかも 愛しき児ろが 布乾さるかも」+同・三三七三「多摩川に さらす手作り さらさらに なにそこの児の ここだかなしき」 = 一風俗歌一「甲斐が嶺に 白きは雪かや いなをさの 甲斐の褻衣や 晒す手作 晒す手作」を考証したここへの加筆なんですけどね。

多摩川調布ねえ、「多摩川に さらす手作り さらさらに」
擬態音「さらさら」を導き出すための「晒す」、というよりも語源と言ってもいいでしょうか。
自分たちが織り上げた布が、こう、済んだ川水に、さらさら、さらさら、と。
多摩の女性たちの、労働に対する喜びが千数百年の時を飛び越えて伝わってきます。

甲斐に入って「甲斐の褻衣や 晒す手作 晒す手作」
お日様がサンサンと輝く、この自然の恵み。
そして、それに対する我々の祖先たちの敬虔なる感謝の気持ち。
「さ」「ら」、どちらも母音は明るいア音です。

まあねえ、くどくは言いたくないんですけど…
古代だけでなく現代においても「晒す」という言葉に忌みの要素は見当たりません。
おそらく村長さんという方は、お気の毒によっぽどネガティブな用例の「晒す」ばかりご覧になってきたのか、或いは失礼ながら「晒す」の意味を勘違いなさってるのか。
かつて多摩川の歌が甲州に歩いていった折には、八王子を通らなかったようです。

おっと、おっと、ごめんなさい!
減らず口じゃないんだ。「晒す」というのは明るい言葉だということを伝えたいのです。
逆に、ネットというところは暗い、ダークがデフォルト、ネットとはUGな空間、だからこそ「晒す」が忌みと感じられるのでしょう。

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 ♪~ 辛い浮世の 路地うらで
    毒と知りつつ 呑むお酒
    下田港の お月様
    明るすぎます お吉には

某所で登場したご当地伊豆に因んだ歌謡曲から、お吉物語・最後のフレーズです。
なんか妙に身につまされるものがありますねえ。
そうです。人のことではありません。
私自身、実名を公表していないネット人格として、ある意味「ネットの路地裏」を行く身かもしれません。
実人格を表に出せない分、せいぜいネット人格の実体たる投稿だけは積極的に日に「晒」して、「お月様」すら「明るすぎます」と感じないようにしたいと思います。

と、何だか自分でも訳が分かんないこと書いてますねえ。
ええっと、万葉で始まって伊豆の話に脱線、っと。
巨大なご当地ソング集・万葉…
はいはい、ちゃんと伊豆の歌もありますよ。

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こんなのはどうだ? 巻十四・3360。

あしがりの 土肥の河内に、出づる湯の 世にもたよらに 子ろが言はなくに

ホント、古くて新しい古典!
おっと、おっと、先走り。あしがりの土肥の河内ってのは今で言うところの、湯河原温泉のことです。
ああ、湧いても湧いても絶えることのないお湯のように絶えることのない(二人の恋)なんて、あの娘は言うのだが、、、
ねえ、湯河原・湯の町・恋の歌って、現代演歌定番の世界ではありませんか?

但し残念ながら、伊豆の歌はあんまり多くないのです。
というのは、ほら、交通の関係。昔の東海道は足柄回りだったでしょう?
1933年に丹那トンネルが完成するまでは。
万葉時代を起点に考えれば「つい最近」まではです。

よって万葉に収録されている三首のみなんですが、その分足柄・御殿場の歌は多いですよ。
ん? 前にどっかにとどっとまとめて掲載したことがあるような、ないような…
ボロが出ぬウチに、あはっ! でオトし、、、

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