この記事も万葉ネタなんですが、実はこの記事、殆どが修飾で本文部分は最後のほんの一角だけなのです。どうぞ最後までお読み下さい

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そうでしたわ、今年は立春が一日早かったんでしたよね。
立春が一日早ければ八十八日後の八十八夜も当然一日早まる、昨日1日がその八十八夜でした。
曰く付きの画像はこのとおりHD保存されてたのですが、その折重ねて使った自作音声の方はもうプログラムが動かず皆さんにお聞かせすること値わず、重ね重ね残念です。

さて今日は日曜日。
日曜は万葉集が恒例となってきたこの頃ですので、今日もその流れに従いましょう。

意外な事に、万葉集も五月は多いんですわ。
いえいえ、今ざっと調べてみて知ったんですが。
これが古今以降だったら、花橘ね、これが出てくる歌が綺羅星のごとなんですが、万葉期にもあったのは意外で、だから『目指せ!! 平成の女蜀山人!』では記事にする事はありませんでした。

僅かに令和逸話よろしく、詞書に五月のあるのが出てきた程度で。

歌を理解するためには詞書を読むべし

2005年07月03日


歌意を正しく理解するためには、長歌&反歌をばらばらに読むのではなく一体のものとして読むべし、お話しましたね。
あと、もうひとつ。
背景を理解するためには、詞書を読むことでしょう。

たとえば、


  吾妹子を いざ見の山を 高みかも 大和の見えぬ 國遠みかも


巻一-四三、石上大臣(おほまへつぎみ)なんですけど、これをフルバージョンで記すと、


 〔石上大臣從駕作歌〕(石上大臣の從駕にして作る歌)

 
吾妹子を いざ見の山を 高みかも 大和の見えぬ 國遠みかも


 右の一首は石上大臣(麻呂)の從駕(おほみとも)つかへまつりて詠める 〔-〕
〔右日本紀曰、朱鳥六年壬辰春三月丙寅朔戊辰、以淨廣肆瀬王等爲留守官、於是中納言三輪朝臣高市麿脱其冠位擎上於朝、重諫曰、農作之前、車駕未可以動、辛未天皇不從諫、遂幸伊勢、五月乙丑朔庚午、御阿胡行宮。〕
(日本紀に曰く、朱鳥六年壬辰の春三月丙寅の朔の戊辰、浄廣津緯肆瀬王等を以ちて留守の官となす。ここに中納言三輸朝臣高市麿その冠位を脱ぎて朝に撃止げ、重ねて諫めて曰はく、農作の前に車駕未だ以ちて動くべからず。辛未、天皇諫に從はず、遂に伊勢に幸す。五月乙丑の朔の庚午、阿胡の行宮に御すといへり。
)

んな感じですか。ぶっちゃけ私も殆ど理解してないのですが、背景を読み取れるということだけは理解してます。

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「いざ見の山」とは奈良三重の県境にある標高1249メートルの高見山、一部では"関西のマッターホルン"と呼ばれてるそうですね。
高見山、高見山、東関親方の現役時代の四股名。。。


で、で御座います。
本日これから、ご紹介する万葉集の五月の歌は、万葉の丈夫ぶりというよりは以降の作られた歌風を感じさせる一首です。

暇なみ 五月をすらに 我妹子が 花橘を 見ずか過ぎなむ


巻八1504、作者は高安王とあります。
大原真人姓を与えられ臣籍降下した後の大原高安という名の方が一般的な貴族・歌人です。

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