『作X家という人種は絶滅してしまったようです。今居るのは著作権業者』 …ダメだ。探してもみつからねーでやんの!

10.31
夕べの宵の口の渋谷からの天気予報では、月は隠れて見えませんでしたけど、おらほうからは件のピンクムーン、綺麗に見えましたよ。
今日までがお天気なのか?代替のポンプも来た事ですし、風呂場の掃除などをしておりました。
けどまあ、この水中ポンプ…

水吸い上げねえでやんの!

参ったね、これ。
(同品)最上位だったら前の壊れたのよりワット数が上だからと思って、これは掘り出し物!と勇んで注文したんですけど。
作りもちゃちいし全然軽いしで、やな予感がしてたんですけどね。
電源コードも通常の家電製品相当で、濡れ手で触って感電しそうで怖いし。
やっぱ、安物買いの銭失いとなりました。

じぃじのことだからそれなりのを買ってたんだね。
あ、我が家に存在してた年限からすれば、壊れたのを買ったのは一代前でしょう。
今度面会に行ったらまた、
「何でも只で済まそうとするのがオメーの悪い癖」
と、毒づかれそうです。

その『何でも只』ではありませんが、数日前。
購読してる読売に所謂海賊版サイト関連裁判に触れた社説がありましたわ。
まあ、漫画なんかねえ…

念を押しますが、齋藤杏花 (さいとうあんな)は漫画を文化とは認めてません
漫画関係を枕としましたが、これから申し上げる事は漫画の事に非ず、断ってから噺を致します。

えー、ずばり、読売新聞への真っ向からの反論なんですが、

『作X家という人種は絶滅してしまったようです。
今居るのは著作権業者』


これ書いたのは、どこでだったっけ?探してるのですが見つかりません。
いえ、この2行に尽きてるもんで是非にも貼りたかったのですが。
なら、音楽から、つーことで『芸術家の生涯』でも。



まあ実際、芸術家なんてのは居なくなってしまいましたよ。
上の作曲のワルツ王 ヨハン・シュトラウス2世は、晩年の公演でこう言ってました。

「これらのウインナワルツは私が作曲したものでない。
元々ウィーンの空気に満満てたものを、人よりも感受性の強い私が感じ取って偶々書きとめただけ」

と。
これすごく大事ですよね。
犬養先生が繰り返しおっしゃってたよう、歌は、音楽は、皆の共有財産なのです。
断じて一部の者の商売のためだけに利用されてはならないのです

1899年、ヨハン・シュトラウス2世没。
象徴的です。
20世紀になって個人の権利意識が強くなったと同時に、歌という芸術は消え去りました。

と、さて。

下掲の『プーさん訴訟評』を書いたのは2007/02/19でしたか。
プライベート投稿にしといてよかった。間違ってる、小房の粂じゃなくて伊三次じゃないの!
…そのまま出します。

著作権について (←こちらも、、、)

780be5f7.jpg
まあまあ、こんな話ばっかでもなんですから、がらっと変わったところから書き下ろしましょう。
と、藪から棒にです。

ディズニーランドからプーさんがいなくなっちゃうようですねえ。
ま、詳しくは反転文字リンクをクリックして読んで頂くとして、かいつまめばですよ。
著作に関する権利を有してるとされていたディズニー社が訴訟に負けて、プーさん版権の返還を余儀なくされるということのようです。

うーん、著作に関する権利ねえ…
私も、無形の財産に関する権利をもっと大切にすべし、という考え方です。
けど、著作権の保護強化を! という意見には与しません。
というのはですよ。
文化財というのは、そもそも皆の共有財産じゃないのか、ということなんですよ。

ちっと、先走ったかな?
こういうことです。
『鬼平犯科帳』のある回で、密偵・小房の粂八が殉職する場面が描かれました。
作者・池波正太郎さんは、読者から散々に怒られたそうですよ。

「なんで粂を殺したんだ!?」

これが私曰くの、文化財として皆の共有財産になっている、という意味合いです。
一旦、共有財産となってしまったら、著作権者である池波さんですら、自由勝手にできないということなんですよ。
勿論、印税は全て池波さんのものだ、ねえ、正当な著作権者ですもの。
そうです。著作権法その他の法規で保障されるのは、金銭等の有形的な部分だけ、好き勝手な鑑賞方法を干渉できる権利を保障してるものではありません。
まあ、考えてみればこれもまた一種「人のこころの中まで入る込める権力はない」の世界でございますけどね。
どうもそこらを勘違いしてる人種も少なからず、この人たちを『著作権業者』と名づけて揶揄してる私です。

おっと、おっと脱線してきましたか。話を元に戻せば。
なんとも夢のないプーさん訴訟ですよねえ。
これが、無形財産権利保護先進国の姿とは、私には到底思えません。

大体、著作などというものは一人の人間の精神の産物でありますから、そもそもが一代限りのものなのでないでしょうか?
同じ財産であっても、相続には馴染まないものと思えるんですよ。
これを文学的にいうなら、「財産は相続人が相続する。遺産は万人が相続する」ということにでもなりましょうか。
兎も角、死後50年だか70年だかという存続期間は幾らなんでも長すぎるでしょうねえ。

うん、ダイタン私案といきましょう。
こんなとこでどうだ?
著作に関する権利は、終身に亘り享受することができる。その死後における存続期間は、取得後70年を上限とする。
西郷隆盛公曰く「子孫のために美田を残さず」、死者の精神の産物をいつまでもメシの種にできるような制度は健全とは言えません。

とまあ、もし万が一、反実仮想で、私案のとおりの著作権存続期間が法定されたとしたなら。
創作サイトの皮を被った無法サイトの触れ込みで客引きする、とある会員制サイト管理人は、

 サイコーです(*^◇^)/

と喝采するでしょうね。

…やっば、『こんな話』に戻っちったか、あはっ!