そうだ、そうだ、午後になるまで、 こってり わーすれてましたわ。今日は花祭り、潅仏会、お釈迦様の誕生日ではあーりませんか! 

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てな訳で、ホント、某ツイッターでおバカな噺をしてる内に思い出したとこです。
ん?SMプレーで麗しき女王様から小水を浴びせてもらう
おっと、おっと!そんな話じゃなくて、かく言う齋藤杏花 (さいとうあんな)、幼稚園がお寺さんがやってるとこ、ほら?どこにもあんじゃないの、水子供養で儲けてんの、んんっ!お寺さんがやってる幼稚園だった関係で、甘茶を掛ける年中行事はやりました。
また、誕生日が4月という事も手伝って、過去にも色々書いてますね。
順は逆になりますが、FBの短編投稿から再現します。

2019/07/19 20:17
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そうそう。私、32です。
そして四月生まれ。
これだけは正確な情報いれときます。

それから逆順で、『目指せ!! 平成の女蜀山人!』でも書いてます。

あと6日の差でお釈迦様になりそこなった私

2005年05月17日

873cb011.jpg突然ですが、私、4月14日生まれです。
お釈迦様と6日違いですね。

でも、この花祭りのころは私にとって最も憂鬱な季節。
私、もうじき(n+1)歳になるんだ、3月生まれの友達はつい最近まで(n-1)歳だったのに、nは任意の自然数、
ってなんか2歳違うように錯覚してしまって。

その点、数え年だった昔はよかったですよねえ。
みーんな、同じ日に誕生日が来て、みーんな同じく1歳年をとる…

  門松は 冥土の旅の 一里塚 めで度くもあり めで度くも無し
                       (一休宗純)

アニメ絵本の頓知小坊主のイメージとはやや温度差あり、シニカルに人生を考えていた実在の一休宗純です。

『味噌も糞も』ではなく『釈迦も家畜も』

2005年05月16日

23898a7d-s.jpg続けてもうひとつ、「漢詩なしの漢詩コーナー」いきますか?


沐浴 (雪濤諧史)

呉中(蘇州)の某尚書が沐浴しているとき、一人の客が訪ねてきたので、沐浴中だといってことわらせたところ、客は腹を立てて帰って行った。
その後、尚書がその人を訪ねて行くと、その人も沐浴中だといってことわらせた。
そこで尚書はその家の壁にこう書いて帰った。


 君謁我我沐浴  君我を謁ぬとき我沐浴す
 我謁君君沐浴  我君を謁ぬとき君沐浴す
 我浴於四月八  我の沐浴するは四月八日
 君浴於六月六  君の沐浴するは六月六日

四月八日は浴仏(潅仏会)であり、六月六日は浴畜(家畜を川岸へつれて行って体を洗う日)である。


そして、これは私がどこぞに書き付けたもの。

>381 :投稿者名 :2005/04/08(金) 11:27:13
>
>【大人のなまちゃ】
>
>小便、聖水のこと。他意はない。
>
>単語提案者:【投稿者名】
>
>
>
>
>なんか・・・ネタで突っ走ってるだけだな。鬱
>
>
>382 :ミユ ◆MIYU/Cay/Y :2005/04/08(金) 12:28:46
>そうそう、それ昔使われていたらしいですね。
>奇しくもきょうは4月8日、花祭、潅仏会、お釈迦様の誕生日。
>私も行っていた幼稚園がお寺さんの経営だった関係もあって、4月8日の日は園内にあるお釈迦様石像にをかけたのを覚えてます。
>
>【おしゃかさま】
>
>尿を掛けられて性的満足を得る者
>
>単語提案者:【アメリカ俗語辞典】
>
>あれ!
>よくみると甘茶じゃなくてなまちゃ、あはっ!
>
>
>383 :深雪(ミユ) ◆P7xWfy4tj. :2005/04/08(金) 12:31:08
>↑ 訂正しなければならない脱字
>
>お釈迦様石像にをかけたのを
> ↓
>お釈迦様石像に甘茶をかけたのを

拙論。
SMプレーの世界においては、浴仏も浴畜も同義のようで、あはっ!

冒頭、某ツイッターの元ネタまで出てきました。
往事のHNは既に公開済みだから、伏字なしもいい、けどトリップまで出しちまったのは、チト、露出が過ぎたかな?
とまれ、そんな花祭りを、こってり わーすれてた今は齋藤杏花 (さいとうあんな)でした。

お釈迦様の誕生日の関係でしょう。
4/8は仏教の日でもあるんですね。
仏教といえば華々しいようにみえて、まあねえ。
実際、世界三大宗教と言われてる割には目だって信者は少ない。
三大宗教でなく、2.5大宗教くらいな。
ちょうど55年体制の二大政党が、二大ではなく1.5大だったがごとくに。
あ、その件を書いてる某ブロガーの情報から仏教徒数の情報も得ました。
実際、三蔵法師が西遊で訪れた西域の仏教都市国家も、今は大概は回教に改宗してしまってるってのが、紛れもない現実です。

まあ、個人的好き嫌いでも仏教はあまり好きませんね。
なせなら死を美化しすぎる、だから仏教国であるとの迷信がある我が国においても、葬式カンパニー化してるわけでして。
ただ、大大大大、大っ嫌いなキリスト教よりはマシというもの、例えばバチあたりなどという概念には賛同を覚えるとこです。

てなわけで明日は、先ほどの記事の冒頭で触れたバチあたりの話など致します、と予告、あはっ!

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