「ご苦労さま」 「お疲れさま」 「毎度有難うございます」 「お世話になります」 言葉も大事だが気持ちも大事。心が篭ってれば多少のことは「大丈夫」。さあ大きな声で言いましょう! サンキューベリーマッチ from Scrooge (1970)
コロナ禍 齋藤杏花 (さいとうあんな) 齋藤杏花 文春オンライン 「ご苦労さま」 「お疲れさま」 「毎度有難うございます」 「お世話になります」 blog 大丈夫 電電公社 古き佳き日々 国語の乱れ ローソン千葉千城台北店 花沢元 発言小町 サンキューベリーマッチ ミュージカル映画 Scrooge (1970) クリスマスカロル 小松政夫
コロナ禍のせいで本年は、巷は師走らしからぬ静けさです。
が、へそ曲がりの齋藤杏花 (さいとうあんな)は例年どおり、否、例年以上に忙しない暮れを迎えております。
というのは、WEBの方にすっかりのめり込んでいるもので。
過日、BLOGはもう廃れた事を知らしめられ、逆に「なら(備忘だけのつもりでいた)予定変更。(れっきとした)BLOGやってやるわ!」と天邪鬼の虫が頭をもたげ出しまして。
お気づきでしょうか?徐々にBLOGらしくなってきてるでしょう、ほら?
っと出だしから、チト、国語がおかしくなってきたな。
今回はその国語のお噺です。
文春オンラインでみつけた、
目上には「ご苦労さま」「お疲れさま」どっち? 正しい“敬語”の奇妙な変遷
。
これよ、これ!
将に我が意を得たりです。
ほら?「おつとめご苦労さん」、こう、刑務所の前でチンピラが出所してくる親分(注:小松の親分さんの訃報が入ってますね。合掌)を、向かえるときの台詞として定番じゃないですか。
朝一の会議で「お疲れさまです」と言われ、「おらぁ朝っぱらからくたぶれてるようなポンコツじゃねえよ。素直に『おはようございます』といったらどうなんだ!」そうそう、そうだ。胸がすきますよ。
言葉の変遷というよりも、むしろ国語の乱れに位置づけたほうがよいのでは?
件の記事は後段で、こう結論付けてます。
一々尤も。常日頃から私が強く感じてたことを、ことばの専門家が記事にしてくれました。
ですので、これ以上は申しません。
上記の反転リンク、是非クリックして全文確認下さい。
でね。
別の言葉に噺を移せば、大丈夫、ダイジョーブってやつなんですよ。
ヘンな言葉が流行ってて困ったものです。ここでも言いましたか?
そもそもは恐らくは謙りの為の湾曲表現なんでしょうが、よく考えてみれば逆に非常に上から目線の物言いですよ。
「『大丈夫』ってアータ、私は何も疚しいことがあってアンタに助けを求めてる訳でもないし、また許しを乞うてる訳でもない。
一体、何が、誰にとってどう『大丈夫』だといってるのか?」
言い返してやりたくもなります。
先日も使いで病院に(実)父の薬を取りに言った折に、
「30日後は正月になりますけど大丈夫ですか?」
と、やられました。
どういう言ってんのかね?場所が医療だけに曖昧には出来ませんよ。
暫く間抜けな漫才をやることになって、そして最後は何のことあない、正月にまた来られるか?って確認されただけと確認できましたけどね。
失礼云々は主観としても、意味が曖昧なのは困りますね。
看護婦嫌い、医療の常識は…止めときます。
そうだ。
「ご苦労さま」vs「お疲れさま」に続けるなら、「毎度有難うございます」vs「お世話になります」をあげればよかったか。
「毎度有難うございます」「お世話になります」、どっちが誰に対して言う言葉がご存知ですか?
これなんか、曖昧になってきたというよりもむしろ、前者がすっかり聞かれなくなって誰に対しても後者を使うようになってしまった、といった方がより正確でしょう。
得意先等格上 →「毎度有難うございます」
仕入先等格下 →「お世話になります」
こうよ。今や念の為に断らないとならないかもです。
さて再び私事を言うのなら、私・齋藤杏花 (さいとうあんな)の中の人は、就業経験0の専業主婦です。
けど実務経験が0という訳ではない、子どもの頃から実父の秘書めいた事をやっておりました。
ですので、こうした事は幼い頃より厳しく言われてきたものですよ。
件の件に関しては。
旧電電系の会社に父が架電してた折、聞こえてきた、「いきなりでなんですが、御社はそういう言い方するような業務マニュアルになってるんですか?」
この電話の後に詳しく教えてもらいました。
そもそも電話が苦情(これも『抗議』ではないよ。違い分る?)めいたものだったんですよ。
そして代わった上席者が第一声、「お世話様です」ね。
民営化に際し研修は受けたものの、公社だった昔の癖が出てしまったわけです。
でも流石大手だ、父の指摘に思わず小声であっとつぶやき、「失礼致しました。毎度有難う御座います」
まあ、これも私がほんの子どもだった折のこと、今となっては古き佳き日々の物語です。
先に、「毎度有難うございます」をついぞ聞かなくなった、を言ってしまったのは下手な文章でした。
これって、国語の乱れ、というよりも、それに端を発した更に一段根深い問題になっているように思えます。
なんていうか、世の中の接客仕事の連中からすっかり、お客に対する感謝の気持ちってのが失せてしまったんですよねえ。
甚だしくは暴行して頭蓋骨折の重傷を負わせるなんてのも。
ローソン千葉千城台北店 (千葉市若葉区千城台北1‐28‐1) の来客が、同店アルバイト店員花沢元容疑者(32)に暴行され意識不明の重体に! ~ 今更ながら小売とは何か?を検証すべく過去稿を交えて一稿
もうすっかり忘れられた頃でしょうから、ここで繰り返しておきます。
何でも、小売経営にとっては、店員第一、顧客よりも数段大事なのが店員なんだとか。
コメ欄付記事でチラリ情報提供頂いてますね。
さもありなんと頷くばかり、昨今のテレビ新聞等の報道みてれば、顧客の理不尽な態度に店員が大きな心の傷を負ってる、ってののオンパレードです。
何週か前の発言小町に、店員からそっけない応対されたのは年いったせい?と悩む50代女性に、今はそういう時代なのよと慰めのレスがついてるのが紹介されてました。
私は2昔前の感性の女ですから、件のトピ主に大いに共感を覚えるところです。
店員さんたちねえ。
そんなに「ありがとう」というのが屈辱的なのかしら?
私には大きな声で快活に「毎度有難うございます」と発声するのは、自分にとってもストレス発散になると思えるのですが。
少なくても、淫靡なSNS如きでグヂュグヂュ垂れるより数段マシでしょう。
クリスマスの感謝の気持ちで他の日々も過ごせば、そうでないのとは雲泥の差の人生を送ることが出来る…
今年もこのミュージカル映画を観る季節になりました。
が、へそ曲がりの齋藤杏花 (さいとうあんな)は例年どおり、否、例年以上に忙しない暮れを迎えております。
というのは、WEBの方にすっかりのめり込んでいるもので。
過日、BLOGはもう廃れた事を知らしめられ、逆に「なら(備忘だけのつもりでいた)予定変更。(れっきとした)BLOGやってやるわ!」と天邪鬼の虫が頭をもたげ出しまして。
お気づきでしょうか?徐々にBLOGらしくなってきてるでしょう、ほら?
っと出だしから、チト、国語がおかしくなってきたな。
今回はその国語のお噺です。
文春オンラインでみつけた、
目上には「ご苦労さま」「お疲れさま」どっち? 正しい“敬語”の奇妙な変遷
。
これよ、これ!
将に我が意を得たりです。
ほら?「おつとめご苦労さん」、こう、刑務所の前でチンピラが出所してくる親分(注:小松の親分さんの訃報が入ってますね。合掌)を、向かえるときの台詞として定番じゃないですか。
朝一の会議で「お疲れさまです」と言われ、「おらぁ朝っぱらからくたぶれてるようなポンコツじゃねえよ。素直に『おはようございます』といったらどうなんだ!」そうそう、そうだ。胸がすきますよ。
言葉の変遷というよりも、むしろ国語の乱れに位置づけたほうがよいのでは?
件の記事は後段で、こう結論付けてます。
一々尤も。常日頃から私が強く感じてたことを、ことばの専門家が記事にしてくれました。
ですので、これ以上は申しません。
上記の反転リンク、是非クリックして全文確認下さい。
でね。
別の言葉に噺を移せば、大丈夫、ダイジョーブってやつなんですよ。
ヘンな言葉が流行ってて困ったものです。ここでも言いましたか?
そもそもは恐らくは謙りの為の湾曲表現なんでしょうが、よく考えてみれば逆に非常に上から目線の物言いですよ。
「『大丈夫』ってアータ、私は何も疚しいことがあってアンタに助けを求めてる訳でもないし、また許しを乞うてる訳でもない。
一体、何が、誰にとってどう『大丈夫』だといってるのか?」
言い返してやりたくもなります。
先日も使いで病院に(実)父の薬を取りに言った折に、
「30日後は正月になりますけど大丈夫ですか?」
と、やられました。
どういう言ってんのかね?場所が医療だけに曖昧には出来ませんよ。
暫く間抜けな漫才をやることになって、そして最後は何のことあない、正月にまた来られるか?って確認されただけと確認できましたけどね。
失礼云々は主観としても、意味が曖昧なのは困りますね。
看護婦嫌い、医療の常識は…止めときます。
そうだ。
「ご苦労さま」vs「お疲れさま」に続けるなら、「毎度有難うございます」vs「お世話になります」をあげればよかったか。
「毎度有難うございます」「お世話になります」、どっちが誰に対して言う言葉がご存知ですか?
これなんか、曖昧になってきたというよりもむしろ、前者がすっかり聞かれなくなって誰に対しても後者を使うようになってしまった、といった方がより正確でしょう。
得意先等格上 →「毎度有難うございます」
仕入先等格下 →「お世話になります」
こうよ。今や念の為に断らないとならないかもです。
さて再び私事を言うのなら、私・齋藤杏花 (さいとうあんな)の中の人は、就業経験0の専業主婦です。
けど実務経験が0という訳ではない、子どもの頃から実父の秘書めいた事をやっておりました。
ですので、こうした事は幼い頃より厳しく言われてきたものですよ。
件の件に関しては。
旧電電系の会社に父が架電してた折、聞こえてきた、「いきなりでなんですが、御社はそういう言い方するような業務マニュアルになってるんですか?」
この電話の後に詳しく教えてもらいました。
そもそも電話が苦情(これも『抗議』ではないよ。違い分る?)めいたものだったんですよ。
そして代わった上席者が第一声、「お世話様です」ね。
民営化に際し研修は受けたものの、公社だった昔の癖が出てしまったわけです。
でも流石大手だ、父の指摘に思わず小声であっとつぶやき、「失礼致しました。毎度有難う御座います」
まあ、これも私がほんの子どもだった折のこと、今となっては古き佳き日々の物語です。
先に、「毎度有難うございます」をついぞ聞かなくなった、を言ってしまったのは下手な文章でした。
これって、国語の乱れ、というよりも、それに端を発した更に一段根深い問題になっているように思えます。
なんていうか、世の中の接客仕事の連中からすっかり、お客に対する感謝の気持ちってのが失せてしまったんですよねえ。
甚だしくは暴行して頭蓋骨折の重傷を負わせるなんてのも。
ローソン千葉千城台北店 (千葉市若葉区千城台北1‐28‐1) の来客が、同店アルバイト店員花沢元容疑者(32)に暴行され意識不明の重体に! ~ 今更ながら小売とは何か?を検証すべく過去稿を交えて一稿
もうすっかり忘れられた頃でしょうから、ここで繰り返しておきます。
何でも、小売経営にとっては、店員第一、顧客よりも数段大事なのが店員なんだとか。
コメ欄付記事でチラリ情報提供頂いてますね。
さもありなんと頷くばかり、昨今のテレビ新聞等の報道みてれば、顧客の理不尽な態度に店員が大きな心の傷を負ってる、ってののオンパレードです。
何週か前の発言小町に、店員からそっけない応対されたのは年いったせい?と悩む50代女性に、今はそういう時代なのよと慰めのレスがついてるのが紹介されてました。
私は2昔前の感性の女ですから、件のトピ主に大いに共感を覚えるところです。
店員さんたちねえ。
そんなに「ありがとう」というのが屈辱的なのかしら?
私には大きな声で快活に「毎度有難うございます」と発声するのは、自分にとってもストレス発散になると思えるのですが。
少なくても、淫靡なSNS如きでグヂュグヂュ垂れるより数段マシでしょう。
サンキューベリーマッチ
クリスマスの感謝の気持ちで他の日々も過ごせば、そうでないのとは雲泥の差の人生を送ることが出来る…
今年もこのミュージカル映画を観る季節になりました。