この稿、結論は万葉ネタなのですが、行き着くまでには2段階を経ます
万葉のこころ 齋藤杏花 (さいとうあんな) Facebook twitter 万葉の人々 万葉集 犬養孝 百済 土用の丑 石麻呂に 吾れもの申す 夏痩せに よしといふものぞ とり食せ 痩す痩すも 生けらばあらむを 将やはた 鰻を漁ると 河に流れな 齋藤杏花facebook 齋藤杏花 大伴家持 新羅 くだらない 中華 東夷南蛮西戎北狄 倭 白村江
再生できない場合、ダウンロードは🎥こちら
これもカンベキに出遅れ。
今年は土用の丑は一回だけなんだ、もう終わってしまいました。
石麻呂に 吾れもの申す 夏痩せに よしといふものぞ とり食せ
痩す痩すも 生けらばあらむを 将やはた 鰻を漁ると 河に流れな
万葉は巻十六3853-4、よく鰻屋のプロパガンダに使われる家持の連作です。
家持の時代からウナギってのはスタミナ食だった、
将に現代に生きてる古典!
でオトしてもいいんですけど、私的にはチト疑問があるんですよ。
当時はアレ、どう調理して食べてたんでしょうかねえ?
江戸時代初期でさえも、蒲焼はおろか白焼すらもなかった。
丸のままぶつ切りにして炭火であぶり、山椒味噌をつけて食べてたというのです。
これもまた前項、江戸時代に確立した上り船下り船で思いついて、しょうかい(←掛詞?)してみました。
------------------------------【で、その前提とすれば】----------------------------------

○○と掛けて、新羅の朝鮮統一ととく。
そのココロは、くだらない。
ってのをよくやりましたけど、これホントなんですよね。
当時の珍品というのは全て、百済を経由して入ってたきた、
百済ものでないのは粗悪品。
日本人の舶来品嗜好をよく表してて、苦笑するしかないです。
他にも上り船下り船から来たんだという説もありますけど、これだと時代が合わない。
やっぱ 百済ない ですわ。
------------------------------【更に、その前提とすれば】----------------------------------

『あちら』で使った下記画像が気になってしょうがないので、ここで使っちゃいますね。
投稿内容はガラリと変えてみます。
お気づきになりましたでしょうか?
私は、中国という言葉を一切使いません。
だって癪ン障っだもの。
中国、中華…
東夷南蛮西戎北狄があってその真ん中のてめえらが華だってんだから。
我々に対する蔑称じゃないですか!
こんな言葉を容認する本邦人は自虐的史観の塊、としか評しようがありません。
もっとも我々が本当に東夷だったかは議論がありそうですが。
7世紀当時の我国は優れた指導者が多く居り、かの日没する国ともそれなりの勢いで付き合うことが出来た。
東夷 < 倭 ≦ 小中華
というのが先方のとおりでもあったようです。
えーっと、何だったっけ?
そうそう画像に話をつなげないと。
とある歴史小説に、白村江とは朝鮮半島南東部にある~ という記述をみつけ、えぇぇ!!!! と思って探し見つけた画像です。
百済の援軍に向かい、ご覧の通りの位置の海戦で負けたんですよ。
あくまでも援軍失敗であって我国の敗戦ではない。
有史以来たった一度の対外戦争敗北は、先の大戦です。