尽忠報国の士・堀米正広さんを犬死させてはなりません ~ はき違えられた「言論の自由」に一石を投じます

「表現の自由」を「放言の自由」にはき違えた衆愚世論…

またも亡国日本を、ひしひし感じさせられる社会事象に遭遇しました。
去る9月5日に催された、石坂啓、上原公子、斎藤貴男、きくちゆみ、佐高信、西川重則、小倉利丸、内田雅敏ら十数名の拝金主義者による威嚇的プロパガンダ集会のことです。
これらの者の名は、既に広く知られわたっているところでしょう? 現社会において不相応にも多くの発言機会を有しているということです。
これに対し、者どもが徒党を組み攻撃している、表題の人物。彼の名を予め知っていた方が如何ほどいらしたことでしょう?
そうです。全くと言っていいほど発言機会に恵まれない人です。

将に弱い者いじめ…
弱きを挫き強きを助ける…
件の私刑集会に加わった石坂らの、そもそもの人間性を如実に示しているものと感じます。

元となった加藤紘一・元自民党幹事長宅の放火について述べましょう。
堀米正広さん、いや、公平のためにこの場は堀米容疑者と表記しましょうか、が犯したとされる行為は、現行法規に照らせば現住建造物放火に該当し、それは裁かれるべきであり私とて異論はありません。
但し、裁くのはあくまでも司法当局であり、その対象は違法行為に限られるはずです。
何ゆえジャーナリズム関係や著名人が勝手に、彼の人格や心中思想までをも裁こうとするのでしょう?
だから、私刑と言った。マスコミにおける圧倒的優位を嵩に、傷つき収監された堀米さんに追い討ちをかける…
これこそが暴力なのでないでしょうか?

そして石坂ら売国奴が錦の御旗に掲げているのが憲法の言論の自由。これが全くの出鱈目であるという点が肝要です。
言論の自由…
敢えて、ここで振り返るまでもありますまい。
旧憲法の反省から、国家等の権力が言論封殺を行わないよう新憲法において設けられた制度です。

然るに件の事件はといえば、元発言者が権力の中枢に近い人物…
そもそも、これをどうやって封殺しようというのですか?
国家権力に加え尚いっそうの保護を与えなければならないほど弱いものなのですか?
あべこべもいいとこです。

勿論、近隣住民の生命や財産に被害を及ぼす恐れのある現住建造物放火は憎むべき犯罪です。
しかし一介の名もなき者が、言論の暴力により完全支配された現在日本の巨大権力に物申すために、他にどんな手があるというのですか?
堀米正広さんは、事後に割腹して潔く果てようとしました。
死を賭して権力者に意見した…

これぞ、尽忠報国の士!
この心意気は讃えられてよいでしょう、例え間違っていたとしても、断じて抹殺すべきものではありません。
さもなければ、権力に物言う者などなくなってしまいます。

そう。
冒頭・石坂啓らのような権力に媚を売り自らに齎した現状地位を、手段を選ばず保全しようと目論む輩だけが、社会の中枢に座り続けることになります。
尽忠報国の士・堀米正広さんを犬死させてはなりません。

最後に、本稿で糾弾した国賊ども流の「言論の自由」語義を掲げておきましょう。

【「言論の自由」とは】

① 別項「言論の暴力」により生計を立てる者が、恒常反復的に暴力を振るい続けた相手からごくまれに反撃された時、それを駆逐すべく声高に唱える題目
② 日刊新聞定期購読料値上げの際の口上



(平成18年、重陽の節句に)



------------------------------【注記】----------------------------------


いやいや、お恥ずかしい。
JD1の時、勢いで書き上げた檄文を今(2020/5)になって再掲載するとは!

…と実は一度掲載した投稿を誤って消してしまって、6月になって再度やり直したもので。
どんな注釈つけたかすっかり失念してしまいました。
思い出したらまた編集していきます。

(2020/8/6)

一部思い出しました。
この檄文、パクられたver(一人称が♂)の方が検索に掛かり易いようですが、前述がオリジナルです。
また読んで頂けばお分かりのよう、オリジナルは靖国参拝には一切触れておりませんので、同verをご覧の方々には誤解なきよう。


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(2020/8/6)

本文記事の加筆です。
よもや、十代の頃書いた記事に14年以上も経った今日、2020年10月6日に加筆することがあろうとは、思いもよりませんでした。
今朝ほど目にしたニュースで、件の表現の自由という文字を目にしましたもので。
記事を全文引いた方が早いか。

是枝裕和さんら映画人22人、学術会議会員候補の任命拒否撤回求める抗議声明

読売新聞 / 2020年10月5日 20時11分


日本学術会議の新会員候補のうち6人を菅首相が任命しなかった件で、映画監督・脚本家の荒井晴彦さん、映画監督の是枝裕和さん、白石和彌さん、想田和弘さん、塚本晋也さん、森達也さんら映画人の有志22人が5日、「この問題は、学問の自由への侵害のみに止まりません。これは、表現の自由への侵害であり、言論の自由への明確な挑戦です」などとする抗議声明を発表。任命拒否の撤回と、この決定に至る経緯を説明することを求めた。


評しようがありません。
字面どおりに読んでみれば、是枝裕和というお人は気が狂っちまったんじゃないか?と。
何でここで『言論の自由』が顔出すワケ?そもそも言論の自由とは…(以下本文)、
となるわけなんですが、きっと何か考えがあって、こんなアドバルーン揚げたんでしょうよ。
そうですよね?そういうことにして、ここは大元の問題・『学問の自由』の方で話を進めていきます。

発端は、日本学術会議の新会員候補のうち6人を菅首相が任命しなかったこと。
その6人の名前をあげます。

小澤隆一、岡田正則、松宮孝明、加藤陽子、芦名定道、宇野重規

この人達の学問の自由が如何なる形で侵害されてるワケ?これまた言うもバカバカしいです。
もう沢山ですよ。これもまた過日の白井某同様、いい大人が思い通りにならなかったことをごねてるだけです。
まるで中世の叡山…

そうでしたよねえ。
最初は最高峰の学問の場だったのが段々に堕落し、仕舞には只のならず者の集まりになってしまったんでしたよねえ。
歴史は繰り返す、というよりも、どれだけ時間がたっても進歩しないのが、アカデミックな世界なんです。

いっそ6人といわず、日本学術会議丸ごとを廃止しちまったら?
行政は行政、学問は学問でそれぞれの世界で精一杯やりましょうよ。
結局は、諮問機関など只の形骸化に終わるだけがオチです。
近くはコロナ騒動でよくわかったでしょう?

それにね。
行政の無駄を省くというのは、この内閣の目玉らしいですしね。
いえいえ、私は所謂ノンポリですから、詳細は存知得ません。