京都アニメーション放火事件容疑者が逮捕された今改めて思う ~ 純丘曜彰なる大阪芸大教授の当初評を全面支持する
本日はもうひとつ、表題に付き投稿せねばなりません。
事件後10ヶ月も経ってようやっと今朝方、容疑者が逮捕されたというニュースが飛び込んで参りました。
思えば、コロナ以外のニュースがトップに入ったのは随分久々の事です。

…ははは。
トリッキーな書き方しても誰も引っかからない…か。
青葉容疑者の容態が取り調べに耐えうるまでに回復したので、今日になって逮捕に踏み切ったってことです。
んで、その折、私・齋藤杏花 (さいとうあんな)は某ツイッターに独立のアカウントを起こし意見表明したわけなのですが、既発投稿で申し上げたとおり。
何でかねえ?悉く凍結された上にログインすらも出来ない状態にされてしまいました。
いえいえ違います。当初のは全く正しく是認されていたんです。
それが妨害を防ぐ目的で色々動かしてるうちに全滅してしまったってことで。
当初垢にはきちっとした方がフォロワーとして付いてくれましたもので保護しようと画策した結果、目論見とは真逆になってしまいました。
おっと、長々愚痴ってても詮無い、思い出しつつ書いた内容を復元していきます。
先ずは当初ですら若干出遅れました。
故に純丘教授とやらの論評は既に撤回された後だったんですが、それはそれで結構、全面支持ですのでもし皆さんが件の評論の残骸を見かける事があったなら、私の発言と思って頂いて一向に構いません、
と冒頭に言ってからツイートしだしました。
今回も同じく、『残骸復元』から始める事としましょう。
そのとおりですよ。一片の誤りもない、教授は何で撤回したんでしょうかねえ。
教授評に対して、何で今言わなければならないのか?と疑問を投げかけてた同業者がいました。
『今』でなければなりません。『今』釘を刺さなければ、事件犠牲者は美化され神格化されて英雄に祭り上げられてしまいます。
戦前の爆弾三勇士と同じですね。導火線の長さ間違えて自爆しちまったのが↑こうまで美化されちまった。
少しも進歩してない我国の国民です。
その後の情勢を見るに、教授の提言の効果があってかはたまた齋藤杏花 (さいとうあんな)の激が功を奏してか、事件犠牲者の英雄視はありませんでした。
ですので本稿の論調も心なしかトーンダウン。ここで遅ればせながらの事件犠牲者へのお悔やみを挟んで論を続けます。
MANGAってアルファベット書きするのかな?
マンガにアニメにゲームの頭文字をとって総称するの。
えー、このMANGAってのは日本が世界に誇る文化なんですか?
断じて認める訳には参りません、だとしたら国辱ものです。
そもそも、こんなものは世相風俗であって文化とは言いがたい、これが私の持論です。
10代の頃熱弁を振るったっけ。
あった、あった。全文掲載します。えー2006年、日付は失念です。
ホント、ネクタイ締めた立派な大人が電車の中でマンガ読んでてて全く違和感がないとは!
情けない限りです。
ねえ、文章なら文章、絵ならば絵、どちらか一方にしたら?
かつて熱弁振るったように、これじゃ何から何までを与えられてしまうお仕着せメディアです。
だから読者の鑑賞眼はいつまでたっても進歩しない。離乳食しか食べられない大人、補助輪つきの自転車でブイブイ言わせてる族みたいな半端モンを作ってしまうことになるです。
何せ『夢』を『与えられる』ってんですから。
そもそも夢だの感動だのってもんは各人の心の中に自ずと涌いてくるもので、他者から与えられたり呉れたり貰ったりするものではありません。
それじゃ洗脳ですよ!
或いは。

麻薬とは、ホント、純丘教授は上手いことを言ったものです。
かつて西隣の大陸の国は、欧米から阿片を持ち込まれ多くの人間を廃人にされました。
図らずも21世紀の我国もまた…
自らの感受性で感動できないような人間は、精神が死んでしまった麻薬中毒の廃人と言えるでしょう。
恐るべきことです。
さてその後当初の拙垢は、話をインターネット批判に話を転じ、
で結ぶのですが、このことは今までの投稿で散々に言って来ました。
ここでは『夢を与えられる』を請けて、東京五輪に話を転じて結ぶこととしましょう。
新型感染症・非常事態宣言全面解除に際し是非発信しなければならないのは、#五輪中止 です。これもまたクリックで開くリンク先で既に言ってますが。
安倍内閣の人たちも『夢を与える』をよく口にしますね。
子どもに夢を与えるためにも、東京オリンピック&パラリンピックは中止する訳にはいかない、と。
そんな事はないって。
子ども子どもとバカにするなかれ、子どもこそ誰からも『与え』られなくても自分の感性で感動する事ができます。
ほら、小石一個木の葉一枚を何時間も飽きもせず眺めてる、あれで多くの事を海綿が水を吸い込むがごとくに貪欲に吸収してるんですよ。

餓鬼ってのは決してネガティヴな言葉ではない、すっかりその昔の貪欲さをなくしてしまった大人からの憧憬です。
事件後10ヶ月も経ってようやっと今朝方、容疑者が逮捕されたというニュースが飛び込んで参りました。
思えば、コロナ以外のニュースがトップに入ったのは随分久々の事です。

…ははは。
トリッキーな書き方しても誰も引っかからない…か。
青葉容疑者の容態が取り調べに耐えうるまでに回復したので、今日になって逮捕に踏み切ったってことです。
んで、その折、私・齋藤杏花 (さいとうあんな)は某ツイッターに独立のアカウントを起こし意見表明したわけなのですが、既発投稿で申し上げたとおり。
何でかねえ?悉く凍結された上にログインすらも出来ない状態にされてしまいました。
いえいえ違います。当初のは全く正しく是認されていたんです。
それが妨害を防ぐ目的で色々動かしてるうちに全滅してしまったってことで。
当初垢にはきちっとした方がフォロワーとして付いてくれましたもので保護しようと画策した結果、目論見とは真逆になってしまいました。
おっと、長々愚痴ってても詮無い、思い出しつつ書いた内容を復元していきます。
先ずは当初ですら若干出遅れました。
故に純丘教授とやらの論評は既に撤回された後だったんですが、それはそれで結構、全面支持ですのでもし皆さんが件の評論の残骸を見かける事があったなら、私の発言と思って頂いて一向に構いません、
と冒頭に言ってからツイートしだしました。
今回も同じく、『残骸復元』から始める事としましょう。
「終わりの無い学園物のアニメにうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく」「こういう連中に残された最後の希望は、自分も永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ」として、「人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした夢を見させられ過ぎた。だから、一発逆転も、また別の夢。かならず失敗する。そして、最後には逆恨み、逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ」
「いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ」
そのとおりですよ。一片の誤りもない、教授は何で撤回したんでしょうかねえ。
教授評に対して、何で今言わなければならないのか?と疑問を投げかけてた同業者がいました。
『今』でなければなりません。『今』釘を刺さなければ、事件犠牲者は美化され神格化されて英雄に祭り上げられてしまいます。
戦前の爆弾三勇士と同じですね。導火線の長さ間違えて自爆しちまったのが↑こうまで美化されちまった。
少しも進歩してない我国の国民です。
その後の情勢を見るに、教授の提言の効果があってかはたまた齋藤杏花 (さいとうあんな)の激が功を奏してか、事件犠牲者の英雄視はありませんでした。
ですので本稿の論調も心なしかトーンダウン。ここで遅ればせながらの事件犠牲者へのお悔やみを挟んで論を続けます。
MANGAってアルファベット書きするのかな?
マンガにアニメにゲームの頭文字をとって総称するの。
えー、このMANGAってのは日本が世界に誇る文化なんですか?
断じて認める訳には参りません、だとしたら国辱ものです。
そもそも、こんなものは世相風俗であって文化とは言いがたい、これが私の持論です。
10代の頃熱弁を振るったっけ。
あった、あった。全文掲載します。えー2006年、日付は失念です。
【阿部進 - カバゴン vs ママゴン 二大怪獣激闘に考察する漫画文化論】
女性の持つ攻撃性を母親の支配欲に投影し、教育ママについて論じた前稿である。
ブログ趣旨とは離れつつあるも、続けることとしよう。
そもそも教育ママなる言葉は、戦後日本の産物であろう。
下敷きとすれば、進駐軍の持ち込んだデモクラシー。
これが日本固有の精神主義と結びつき、「人間は誰しも平等に機会を有する、だから刻苦勉励すべし」
という思想となる。
事実これをスローガンに日本は奇跡的な復興を遂げた。
そして「もはや戦後ではない」とまで言われるようにまでなると、余裕が出来、虚栄心が目覚める。
前稿ヒロインと全く同じ心理で生まれてきたのが、教育ママなる人種と言えよう。
噛ませ犬と言ったら語弊があるかもしれないが、かかる(学校)教育法に一石を投ずる、という持論を引っさげメディアに現れいでたる教育評論家が、本稿の阿部進、愛称カバゴンである。
昭和40年前後であろうか? はからずも世は怪獣ブーム、それに擬えた副題のごとき形容がされた。
で、彼の業績のうち本ブログとしてスポットライトをあてるのは、漫画普及の功績である。
人は(漫画普及の)功労者として、ときわ荘の漫画家たちを思い浮かべる。が、教育畑の人間の推挙なくしては文化として市民権を得るまでには至らなかったと思料する。
「漫画なんか読んでないで勉強しなさい!」
教育ママの常套句以前にである。
未だ父親の地位が健在であるころは、先ず男親からゲンコを食った。
であるからして、子供たちは隠れて漫画を読んでいたものだ。(見て見ぬふりはあるにせよ)
それが、教育者のお墨付きの下、堂々読めるようになったのである。
ある意味、文化革命と言っても過言ではない。
ないのであるが… と続けるのが論者の常套、本稿も同じくである。
先に出してしまえば、今となってみれば、やはり漫画とは隠れて読むべき性質のものであった、というのが論者の結論だ。
何事にあれ、一旦権威権力を有してしまったものは必ず堕落する。
実のところ、これは昨日某所できつめのコメントをしたこと(の続編)なのであるが…
某所で糾弾したのは、大手出版漫画担当の特権意識である。集英社…
集英社といえば、何回か俎上にあげている弓月光や一条ゆかり、土田よしこらが執筆していた『りぼん』を抱える、少女マンガ名門中の名門だった。
それが、今の現場の面々の鼻持ちならない言動は!
将に水滸伝の舞台となる中国宋代の腐敗役人そのものにも似る。
断っておくが論者は、掲示板サイトの情報を鵜呑みにして批判をしているのではない。
全て検証済みの情報にて発言していることを付け加えておこう。
そういった感情を全て別にしても、漫画というのは褒められた媒体ではないと思える。
詩・小説、絵画…
文中絵あり、絵中文あり…
文字なら文字、絵なら絵で表現するべきなところを、両方使うのは反則にして掟破りと考えるのだ。
それでいて、俳画のように相乗効果めいたものは特に感じられない。
ここで注しておくべきか。
論者の頭にある漫画とは、原点であるポンチ絵、一枚もの漫画ではない。ストーリーものといわれる冗長なやつだ。
現代漫画の主流である劇画、漫画なのに笑えもしないあれは一体何なのか!?
一口で言えば、物心両面での無駄遣いといえる。
具体的に言おう。
横山三国志、実に六十余巻。
文庫本にすればたったの8冊の吉川英治三国志がここまで膨れ上がってしまった。(それも割愛箇所多々)
逆のケースをあげれば、手塚治虫『火の鳥』のノベライズがあろう。
失礼ながら大したことのない物書きの人たちが、手塚ライフワークと言われる漫画をうまく文章にまとめてくれている。
これが力ある作家ならば、作者意図を一冊にまとめあげてくれるかもしれない。
世界的な画家なら一枚の絵にも…
いずれにせよ、シリアスな場面でひょうたんづきが降って来るとか、「川上タケルの巨人クマソ」とかいうような直ぐに陳腐化するギャグだとか、頼朝義経兄弟に電話会話させて笑いをとりにいくだとかいったの演出をせずとも、意図は伝わるのである。
冗長メディアとでも表現したらよいであろうか? こうした漫画の宿命たる『両面無駄遣い』のために、伝え手の表現力は伸びない。
そして、受け手の鑑賞力はいつまでたっても鍛えられないのである。お仕着せメディアの代表例。
言ってみれば漫画風情が大ヅラをこくことにより、いつまでもいつまでも離乳食ばかりで通常の食物を摂取できない成人のごとき人間を育ててしまうのだ。
恥の文化… 「ネクタイしめた大人が電車の中でマンガ本広げている日本」
さて、江川ヤプーと呼ばれる、家畜人ヤプーの漫画化が継続している。
一体あれは何巻までいくことやら?
ホント、ネクタイ締めた立派な大人が電車の中でマンガ読んでてて全く違和感がないとは!
情けない限りです。
ねえ、文章なら文章、絵ならば絵、どちらか一方にしたら?
かつて熱弁振るったように、これじゃ何から何までを与えられてしまうお仕着せメディアです。
だから読者の鑑賞眼はいつまでたっても進歩しない。離乳食しか食べられない大人、補助輪つきの自転車でブイブイ言わせてる族みたいな半端モンを作ってしまうことになるです。
何せ『夢』を『与えられる』ってんですから。
そもそも夢だの感動だのってもんは各人の心の中に自ずと涌いてくるもので、他者から与えられたり呉れたり貰ったりするものではありません。
それじゃ洗脳ですよ!
或いは。

麻薬とは、ホント、純丘教授は上手いことを言ったものです。
かつて西隣の大陸の国は、欧米から阿片を持ち込まれ多くの人間を廃人にされました。
図らずも21世紀の我国もまた…
自らの感受性で感動できないような人間は、精神が死んでしまった麻薬中毒の廃人と言えるでしょう。
恐るべきことです。
さてその後当初の拙垢は、話をインターネット批判に話を転じ、
死んだ後も骨で道具を作られる等々それはそれは過酷な扱いを受けた古代の奴隷すらも、心の中までは支配されることはなかった。
ひとりの教授の信念に基づく発言すらも抹殺されることになるとは、未だかつて地球上に出現しなかった人の心の中まで取り締まる権力めいた薄気味悪いものが出現しだしたのは、思えばIT全盛の現代なのかもしれない。
で結ぶのですが、このことは今までの投稿で散々に言って来ました。
ここでは『夢を与えられる』を請けて、東京五輪に話を転じて結ぶこととしましょう。
新型感染症・非常事態宣言全面解除に際し是非発信しなければならないのは、#五輪中止 です。これもまたクリックで開くリンク先で既に言ってますが。
安倍内閣の人たちも『夢を与える』をよく口にしますね。
子どもに夢を与えるためにも、東京オリンピック&パラリンピックは中止する訳にはいかない、と。
そんな事はないって。
子ども子どもとバカにするなかれ、子どもこそ誰からも『与え』られなくても自分の感性で感動する事ができます。
ほら、小石一個木の葉一枚を何時間も飽きもせず眺めてる、あれで多くの事を海綿が水を吸い込むがごとくに貪欲に吸収してるんですよ。

餓鬼ってのは決してネガティヴな言葉ではない、すっかりその昔の貪欲さをなくしてしまった大人からの憧憬です。